ひとくち説法
2020年3月20日号
台風が去って
数年前の台風で、自坊の裏山の木々もたくさん被害に遭い、かなり多くの木が折れたり、倒れたり、それは大変でした。
被害状況を確かめるため見回っていますと、私の背丈の半分くらいの木が何事もなかったかのように立っているではないですか。横では杉の木が何本も倒れている中で不思議な光景に見えました。「よし、もう少し広いところに移してやろう」と思い立ち、スコップで掘ったところ、かなり広い範囲に根が伸びているではありませんか。「ああ、だから倒れなかったんだ」。きっと下のほうも深く根が張っているに違いない。
大変な作業になると思い移すのをやめました。根は信仰と同じだな。広く深くすれば、地上から上の部分は、びくともしないんだなと感じました。人生は晴れの日ばかりではありません。時には台風のような日もあります。信仰という大きな根を張りましょう。
(福井南部布教師会長・遠藤建峰)
2020年3月10日号
我が此の土は安穏なり
私たちが毎日お読みする〝お自我偈〟には「私たちの住むこの世界は大火事に焼かれるような苦しい世界に見えるが、本当は何ひとつ不足のない、素晴らしい仏の世界なんだよ」と説かれています。
しかし私たちにはそのようには思えません。周りに耳を傾けてみても、聞こえてくるのは不平不満ばかり。悩み・苦しみの多い世界にしか見えませんが、仏さまは「それはあなたが、欲を出し過ぎているからだよ」とおっしゃっています。
たしかに私たちは欲が深すぎます。こうして生きていること自体がありがたいことですが、その喜びがありません。「お金がない」とか、「もっといい家に住みたい」というように、次々と欲が出てきます。そしていつも貪り、腹を立て、愚痴を言っています。
悪いことはあっても、探せばどこかにいいことがあると思います。それを見つけて「ありがたい」と喜ぶことが「我此土安穏」の世界です。
(福井中部布教師会長・廣橋是晃)
我が此の土は安穏なり
私たちが毎日お読みする〝お自我偈〟には「私たちの住むこの世界は大火事に焼かれるような苦しい世界に見えるが、本当は何ひとつ不足のない、素晴らしい仏の世界なんだよ」と説かれています。
しかし私たちにはそのようには思えません。周りに耳を傾けてみても、聞こえてくるのは不平不満ばかり。悩み・苦しみの多い世界にしか見えませんが、仏さまは「それはあなたが、欲を出し過ぎているからだよ」とおっしゃっています。
たしかに私たちは欲が深すぎます。こうして生きていること自体がありがたいことですが、その喜びがありません。「お金がない」とか、「もっといい家に住みたい」というように、次々と欲が出てきます。そしていつも貪り、腹を立て、愚痴を言っています。
悪いことはあっても、探せばどこかにいいことがあると思います。それを見つけて「ありがたい」と喜ぶことが「我此土安穏」の世界です。