ひとくち説法
2018年6月20日号
如渡得船
「仏教はお釈迦さまやから別に何宗でもエエんちゃうん?」という方がおられます。ンじゃこの方は、お釈迦さまのことは信じておられるわけです。お釈迦さまは言われるのです。法華経を説かれる前に「今まで説いてきた教えに真実は無いで」と。方便品第2で「法華経説くことが私のこの世に現れた最大の目的なんや」と。寿量品第16で「わしゃ死んでもアンタのそばにおるがな。良薬をココに置いとくから自分で飲みや」と。神力品第21で「妙法蓮華経には真理や教えの全部を詰め込んどくから、気が付いた人は弘めてや。頼むわ」と。そして良薬が妙法蓮華経の5字であると気付いて、それを忠実に護り弘めようと生涯を捧げられたのが日蓮聖人。人間釈迦は滅しても仏さまは存在するのです。その慈悲に気付くためには南無しなければならんのです。口で唱えるだけでなく心にいつも持ち続け、どんな人でも敬える貴方になれることを仏さまは願っているのです。
(兵庫県東部布教師会長・新間智孝)
2018年6月10日号
お題目の合掌
「合掌」は多くの宗教で、なされる姿です。
しかし、「合掌」の姿は同じでも、その信仰によって、内容が異なります。
今、日蓮宗では、「合掌」を基本に、法華経の20番目に説かれている不軽菩薩が、見る人を、ことさらに往って礼拝し、唱えた24字の暗誦を勧めています。なぜならば、この24字がお題目に等しいと、日蓮聖人が示されたからです。
その24字は、「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」です。これは、「私は、深くあなた方を敬います。あなた方は、菩薩の行いをされて、やがて仏さまになれるからです」と言う意味です。
お題目と一緒に、この24字を唱えてみませんか。すると自分の中に仏さまを感じ、他者の中に仏さまの存在を信じられるようになります。
1人の信仰が、自他の中に仏の世界を見るのです。この信仰が広がった姿が立正安国の一分です。
(和歌山県布教師会長・村田龍学)
2018年6月1日号
我深く汝等を敬う
6月1日は、真珠の日。真珠の生みの親である御木本幸吉さんが、「私が愛蔵している光琳の屏風をご覧になりませんか」と、客人を家に招いては、眼下に広がる鳥羽湾の景色を自慢したといいます。御木本幸吉さんの名言からは、すべての人を幸せにしたいという強い志が感じられます。
常不軽菩薩は「我深く汝等を敬う」といって、人びとを礼拝し、修行することによって仏になれるという自覚を示されました。宗祖は、但行礼拝の修行とお題目の心は同じであるとされ、常不軽菩薩の生き方をお手本とされたのです。常不軽菩薩品のお経の中には「仏の滅後、法華経を心に信じ身に持ち、これを読誦し、人に向かって説き、これを書写して、法華経を世の中に弘めるよう力を尽くせ」と私たちにお説きくださっておられます。
私たちは、受持・読・誦・解説・書写の修行を行い、真珠のような一点の曇りもない仏さまの世の中の実現に向けて努力しなければなりません。
(奈良県布教師会長・岡田法顯)