ひとくち説法
2018年3月20日号
運・鈍・根
子どもたちが大好きなアニメ「アンパンマン」の作者のやなせたかしさんは生前、人生は運・鈍・根だとよく仰っていました。
運とは、まず運がよくなければということです。しかし運がないという時もあります。その時は、運をつかむという努力が大事になってきます。そんな時に「あーついてないな~」などとあまりナーバスにならないということ、即ちすこしくらい鈍感(おおらか)であることが大切なのです。そしてなかなか「運」がつかめなくても根気を持って続けるということが大切なのです。
日蓮聖人のご生涯を考えてみますと、この運鈍根に当てはめることができるかと思います。法華経に出会ったという運命、度々の法難のお遭いになってもめげないというおおらかな心、そして一生法華経の信仰を持ち続けたという根気です。
私たちの日々の信仰の持ち方にも参考になるのではないでしょうか。
(東京都西部・布教師会長吉田教理)
2018年3月10日号
仏になる「道」
華道、茶道、柔道、剣道等には「道」という言葉がつきます。この道を進んでいったら必ず目的に到達できる。それはその道に堪能であるが故の人間的完成でしょう。これらの、もともとのイメージは「仏道」から来ているのでしょう。仏道とは、仏になる道です。お釈迦さまは、「真理」を伝えようとされました。でもそれはカタチがないものだから、なかなか伝わりません。それで真理をカタチにたくして伝えようとしました。それが修行とか作法と呼ばれるものです。その道を歩いて行けば必ず目的地に行ける。正法時代・1千年、カタチも目的も1つでした。像法時代・1千年、カタチだけ残りました。これを形骸と言います。末法時代・万年続きます。その形骸さえもなくなってきます。私たちはそんな時代の中で、お釈迦さまが用意してくださった法華経に出会うことができました。「南無妙法蓮華経」を唱えるということは、そのカタチと目的がひとつの行為なのです。
(京都府1部布教師会長・大西秀樹)
2018年3月1日号
還暦の同窓会で
出身小学校の同窓会がありました。会場に着くとなんとなつかしい顔が…。久しぶりに会った仲間たちと昔話、思い出話で盛り上がりました。面影がなく誰だか分からない人もいましたが、名札を見て「ああ、〇〇君か」「△△さんやね、なつかしいなあ」と声を掛け合いました。
とてもいい1日となりましたが、十数人が亡くなったことも知りました。病気、交通事故、自らいのちを断った人、生きていれば子や孫に会えただろうに、家族と幸せな人生を送っていいたかもしれないのに…。残念。思わず、亡くなった仲間の冥福と遺された家族の幸せを祈りました。
喜びも悲しみもあった1日でした。でも、それが人生。笑っているだけの一生もなければ、泣いてばかりいる一生もありません。一緒に笑う人がいて、悲しいときは寄り添って一緒に泣いてくれる人がいる。そんなありがたいいのちといのちのつながりのなかで、人は生かされているのです。
(福井県南部布教師会長・遠藤建峰)