ひとくち説法
2017年12月20日号
「烏」のプラス一手間
烏は保護鳥であるらしいが、どちらかといえば「嫌われ者」である。ただ、子育ては他の動物たちに劣らない。童謡「七つの子」がある所以か? その烏が子育てをしている頃の話である。我が家には殺処分を免れた犬猫が多頭いる。私は毎朝夕に彼らの食べ残しの餌をスズメたちにあげているのだが、次第に烏の方が上前をはねるようになった。ただ、嘴一杯に餌を頬張ると一目散に飛び去って行く。子烏に運んでいるのだ。そのうちに子烏も巣立ちをして親烏に付いてくるようになったが、まだ自分で餌を啄むことはできない。翼を広げ「カアカア」と嘴を大きく開けて餌をねだる。とその時私は驚きの光景を目の当たりにした。粒状の餌を頬張った親烏はそれをそのまま子に与えずに一旦猫の水飲み場迄行き、その口一杯に水を含み、それを子烏に与えるのだ。脱帽、合掌。子烏が餌を喉に閊えないように「慈愛の一手間」プラス。ありがとうカアちゃん。「常住此説法」
(新潟県東部布教師会長・眞島文雄)
2017年12月10日号
縁
すべての生きとし生けるものはお互いに生かし生かされています。自分の生命を知り、家族の力添えを知り、社会の仕組みを知れば、恩にゆきあたります。縁を感ずれば知恩に至るとも言えます。
亡くなった人に別れを告げる人生最後の弔いの場。そのかたちが今、大きく変わりつつあります。家族葬という近親者のみで行う葬儀。ごく身近な肉親だけで火葬に立ち会うだけの直葬。かっては親戚、地域にとって一大イベントとして亡き人を送った葬儀の変化は、人と人のつながりの希薄化、縁の縮小を象徴しているようです。
日本の住宅には縁側がありました。縁側は内と外をつなぐ開放的なコミュニケーションの場として機能していました。縁を結ぶ大事な場所だったのです。日本家屋に縁側が少なくなりました。「縁」「恩」は21世紀の人間関係を見直すキーワードではないでしょうか。そんな中で寺はどのような役割を果たせるのか考えさせられます。
(三重県布教師会長・冨田啓暢)
2017年12月1日号
人の振舞~合掌礼~
ある日ショウさんと世間話をしていた。「小さい頃からの癖で、すぐ手を合わせちゃうの」とショウさん。ありがとうの時も、ごめんねの時も、こんにちはの時も、さようならの時も。「すぐ手を合わせちゃうから、友だちに〝私はまだ生きとるんだから手を合わせないでよ〟と怒られちゃうだわ」と話してくれた。
そこで私は、ある菩薩さまの話をした。「この菩薩さまは、僕やショウさんの心に仏さまの種があって、〝あなたは、その種を一生懸命育てて、仏さまになるお方だ〟と、いろんな人に手を合わせて頭を下げられてたんだよ。なんだかショウさんと似ているね」。そう話すと「菩薩さまも生きとる人に手を合わせとったんだね。なんだか嬉しいね」とはにかんだ。
日蓮聖人は「釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰っている。「人の振舞」とは、心の中の仏さまに手を合わせることなのかなと、90歳のショウさんに教えて頂いた気がした瞬間だった。
(愛知三河布教師会事務局・内野智翔)