ひとくち説法
2015年3月20日号
「立正安国・お題目結縁運動」が第3期に入る。
「立正安国・お題目結縁運動」が第3期に入る。ここまでの宗門運動の成果を総括し、しっかりと自己採点することが肝要だろう▼この運動は全国74の宗務所の管区伝道企画会議で、2年の時間をかけて検討した意見をもとに、ボトムアップで生まれた運動だ。宗内的にはお題目結縁による人づくり、宗外的には立正安国の社会活動というのが主なねらいだ▼当初、運動名の「立正安国」に対し、いまさら四箇格言(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)を持ち出すのかという「安国論封印」の声があがった。しかし「立正安国」は日蓮聖人の「いのち」。聖人の信仰から「立正安国」を除いたらなにが残るか。「立正」を主張することが、イコール排他的宗教ではないはず▼世界にはキリスト教やイスラム教、資本主義や市場原理主義といった思想や宗教があり、多くの人びとの行動規範となっている。それらは聖人の時代にはなかったもの。しかも中には「立正」に照らして「ノー」と正すべきものも多い。聖人の時代の四箇が、今では十箇も百箇もある▼『論語』に「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」という言葉がある。「立正」を主張せず、世の大勢に同ずる(おもねる)ことが祖意ではない▼人びとの価値観が多様化し、混沌とした時代。こんな時代だからこそ宗門運動第3期では、社会に向かってもっと「立正」を主張すべきではないか。(義)
逆境にこそ咲く華あり
新島八重は弘化2年(1845)に会津藩の砲術師の山本権八・佐久の子として誕生し、昭和7年(1932)に87歳で生涯を閉じた女性で、この表題が信条だった。戊辰戦争では自ら銃を手に参戦するも敗戦。その後、同志社大学の創始者・新島襄と結婚。襄と死別後はさまざまな活動を通して社会に貢献した。晩年は自宅を改築。「寂中庵」で茶道に親しみ、裏千家圓能齋を師匠と仰いだ。能齋師は日蓮宗に通じる「元品の無明を切る大利●」の銘がある竹茶杓を所持していた。八重にとってその影響は大だった。
後に会津藩主松平容保の孫・勢津子様が昭和天皇の弟の秩父宮雍仁親王とご成婚。この「ご慶事」は八重や会津の人々にとっては「逆賊」「朝敵」とされた無念を打ち消す祝事となった。紆余曲折の人生。何回も逆境に遭いながらも前向きに生きる姿勢を失わなければ、美しい華が必ず咲くことを八重は教えてくれる。
(東京都北部布教師会長・土田恵敬)
2015年3月10日号
仏らしく生きる
先日、華道の趣味のある方から、花を生ける時は温かい眼差しで花を見つめ、優しい言葉をかけながら生けると、花が生き生きと綺麗になるのだとお聞きしました。
私たちも日々の生活で人と接する時、温和な顔で、優しい言葉をかけるよう、心がけなければなりません。それが仏の行いの一つです。
仏教のみ教えには成仏が説かれています。私たちは皆、仏の種を持ってこの世に生まれます。それに気付いて仏に成る。それが悟りであり、仏らしく生きることが大切なのです。
しかし私たちの心の中には、貪欲や怒り、愚痴をこぼしたりする悪い心が仏の心と同居しているのです。
日々、お題目を唱えるそのお力で悪い心を抑え、仏の心を呼び起こすことが、仏の行いにつながります。そして皆が仏の自覚を持ち、平和で住み良い世界を作るために努めなければなりません。
(東京南部布教師会会長・中里勝禮)