オピニオン
2015年3月20日
逆境にこそ咲く華あり
新島八重は弘化2年(1845)に会津藩の砲術師の山本権八・佐久の子として誕生し、昭和7年(1932)に87歳で生涯を閉じた女性で、この表題が信条だった。戊辰戦争では自ら銃を手に参戦するも敗戦。その後、同志社大学の創始者・新島襄と結婚。襄と死別後はさまざまな活動を通して社会に貢献した。晩年は自宅を改築。「寂中庵」で茶道に親しみ、裏千家圓能齋を師匠と仰いだ。能齋師は日蓮宗に通じる「元品の無明を切る大利●」の銘がある竹茶杓を所持していた。八重にとってその影響は大だった。
後に会津藩主松平容保の孫・勢津子様が昭和天皇の弟の秩父宮雍仁親王とご成婚。この「ご慶事」は八重や会津の人々にとっては「逆賊」「朝敵」とされた無念を打ち消す祝事となった。紆余曲折の人生。何回も逆境に遭いながらも前向きに生きる姿勢を失わなければ、美しい華が必ず咲くことを八重は教えてくれる。
(東京都北部布教師会長・土田恵敬)