ひとくち説法
2012年12月20日号
定めなきならい
仏教では老少不定ということを説きますが、これは老人が先に死に若い者があとに残る決まったものではないという意味です。
私のお寺の檀徒の方で息子さんを先に亡くされた老夫婦の方がおります。葬儀が終わった後お参りにお伺いしましたら、「先日は有難いお経を上げて頂きまして有難うございました」と、涙声で言われました。葬儀が少しはお役に立てたのではと思いましたが、「子どもを先に亡くすということは悲しいものです。毎日泣いています」と言われました。子供を先に亡くした親の気持ちとはどのようなものなのでしょうか。
日蓮聖人は『上野殿後家尼御前御書』の中で、「霊魂はお父上のいらっしゃる霊山浄土においでになって、手を取り、顔を寄せ合ってお喜びなさることでしょう」と、おっしゃっておられます。
私たちはお祖師さまに導いていただかなければならないのです。
北海道東部布教師会長 小坂井 仁厚
2012年12月10日号
いのちに合掌
数年前までは大変元気でカクシャクとされていた檀家のM氏が、体調を崩されすっかり弱くなってしまった。
しばらくぶりでお寺にお参りされた時、会うなり伸びきらぬ指を合わせ合掌し「ご住職、よろしくお願いします」と、言って頭を下げられた。思わずこちらも手を合わせ「こちらこそ」と挨拶したのだが、背も曲がり少し小柄になったその姿が、なぜかとても美しく見えた。年輪を重ねた老人の合掌の姿がとても尊く感じられた。
日蓮宗では「いのちに合掌」を唱え、生きとし生けるものに全てに仏性があり尊い存在であることを説いている。日蓮聖人は『観心本尊抄』で、法華経に「開仏知見」とあり、私達にはすでに仏性が備わっているから、お釈迦さまはそれを開くために世に出現されたのだと、述べられている。M氏が尊く美しく見えたのは、彼の仏性が開かれたからに他ならないと確信した。
青森県布教師会長 三浦 泰昭