オピニオン
2022年11月20日
心はよめども身によまず
辞書でお題目を調べると「妙法を蓮華によって例えた経に心の底から帰依する」などと出てきます。パソコンやスマホの普及で、知識を得ることに関しては非常に便利になりました。むしろ過剰な情報量の真偽を見極める力が問われています。
知っているだけでなく関連性や理由も理解している「わかる」状態にしなければ、力として身につけたとはいえません。しかしこれも「わかっている」だけでは評論家です。つまり自分の力で実行できるプレーヤーにならなければ意味がないのです。お題目のプレーヤーになるとは、自分が仏壇の前で読経しお題目を唱えることでしょうか?
ここで「帰依」を検索しました。すると「教えに沿って生きていく」とありました。お題目信仰者である私たちは「世法」ではなく「妙法」で生きていくのです。久遠という命の長さを知り、この娑婆世界の貴重な縁に感謝し、普段から行動する。そしてそれを弘める責務を担っているのです。
(兵庫県東部布教師会長・新間智孝)