オピニオン
2022年2月20日
無くならない
60代半ばの檀徒さんが亡くなりました。このお宅は4世代同居。毎週七日忌の供養に出向くと、何かしらかわいらしいお供えがあります。
仕事や学校で家族が出払った家の留守番は90代の曾祖母さん。供養の後、お茶を飲みながら、「毎日、曾孫がお水をお供えして、おリンを鳴らして〝お祖父ちゃん、おはよう。私が学校に行っている間、寂しいだろうからゲームをおいていくね〟とか、〝今日はかわいい絵のマシュマロ。おやつに食べてね〟とか言って置いていくのよ。時には〝あのねお祖父ちゃん…〟とか言って、10分ぐらい話しているのよ」と教えてくれました。
私は、曾孫さんの目にはお祖父さんの姿が見えているのだと思います。お自我偈に「方便現涅槃―仏さまは方便として死を示す」と説かれ、心から恋慕の思いを持てば、その前に姿を現してくださるとも。「亡くなる」は、「無くなる」のではありません。私たちの心の中に生き続けています。
(愛知名古屋布教師会長・塩田宝裕)