オピニオン
2020年7月20日
姫路の姫の話
私の寺は姫路城のすぐ東にあります。この姫路城と法華経の縁は深いのです。徳川家康の時代に姫路城初代城主となった池田輝政の娘・茶々姫は、京都宮津の京極家に嫁ぎます。京極家、池田家は禅宗ですが、茶々姫は熱心な法華経の信者でした。身延山久遠寺の日蓮聖人の御廟所の隣に篤信者の墓として納められています。また、姫路城最後の城主酒井忠邦公の正室鏐子さまも熱心な法華経の信者でした。久遠寺御草庵の石垣・清兮寺などを寄進しています。明治になって日蓮宗と公認されて初代管長新居日薩上人とも深いご縁があり、廃仏毀釈を憂う各宗派合同会議に日蓮宗代表として参加した日薩僧正に同行して、会館の外で太鼓を叩きながらお題目を熱心にお唱えしたと伝えられています。酒井家の墓は谷中霊園にありますが、法華経の篤信者鏐子さまの墓地は日薩上人が当時住職をしていた東京文京区にある日蓮宗の蓮久寺に安置されています。
(兵庫県西部布教師会長・森勝亮)