オピニオン
2019年11月20日
認めていく
あるお通夜でのこと。祭壇の中央に花で飾られた額に納まるお婆さんの遺影。そこでふと違和感を覚えた。まるで別人とまでは言わぬが、私が住職となって20数年来のお付き合いの中で、見たことがなかった輝くような笑顔の遺影だった。
喪主の長男が「お袋、良い顔してるでしょう? 息子の私も見たことない笑顔ですよ。これはホームでの習字の時間、先生に花丸をもらった時の写真なんです。家の都合で小学校もろくに行けなかったお袋が、生まれて初めてもらった花丸がよほど嬉しかったんでしょうね」。混沌とした戦中戦後の時代、生きるのに必死だったお婆さんが長い年月を経て初めて貰った花丸。それが、どれほど嬉しかったのか遺影が物語っていた。「認」は「言いたいことを忍ぶ」と書く。人は誰しも本当に言いたいことは胸に仕舞って生きている。その心の声に耳を傾ける姿勢。とことん認めていく精神。担行礼拝に繋がるのではないだろうか。
(岐阜県布教師会長・天田泰山)