オピニオン
2017年2月20日
自分を通してみるいのち
江戸時代、ある修行僧が教えを受けようと高僧を訪ねた。折悪しく高僧は風邪をひいていた。「いま隣から薬をもらって来るので、飲んだ後にでも話をしよう」と、外に出ていった。修行僧は、「風邪をひいたくらいで隣まで薬をもらいに行くとは、いのち根性の汚いことだこと」と、帰ってしまった。戻ってきた高僧は「やれやれ、残念じゃのう」と、紙に何かを書いて小僧に持たせ後を追わせた。追いついた小僧は手紙を渡すとそれには、
〽浜までは海女も蓑着る時雨かな(俳人滝瓢水)とあった。今すぐにこの身は海中に潜ってしまうが、それまでは我が身を愛おしむもの。己れの命を大事にせぬものが、どうして他人さまの命を救う仏の教えを理解することができようか、との教えをこの句に込めたのです。
お祖師さまが龍ノ口の首の座から極寒の佐渡にあって、私たちを救わんと、消えかかるご自身のいのちを見つめられていたことが偲ばれます。