オピニオン
2016年11月1日
快適は苦の始まり
人はさまざまな行為を快い、不快に分けて考える。美味しい食事を豊富に食べ続ければ、四大不調となって病気を招く原因になるだろう。好きな人と会うのは楽しいが、別れるときは悲しい。つまり自分にとって快いこと、楽しいことと思っていたものが、実はすべて「苦」の始まりというわけだ。しかしそれに気づかない限り、私たちは、「苦」の元となる「快適」ばかりを追うほど、さらなる苦の因を作り続け、いつまでたっても魂の安らぎを得ることができない。自分に都合のよいものはどこまでも欲しがり、都合の悪いものはなかったことにしたがる根本、それが無明である。その無明の状態から生まれる煩悩が苦の正体だ。一切の煩悩は三毒(貪・瞋・痴)から発生するとしている。自らが率先して苦を増やしている愚かさに気づき、仏の存在、法華経を信じ求め、お題目をお唱えする心を起こす。これこそが、速やかに仏心を成就することの第一歩なのだ。
(長崎県布教師会長・今泉智薬)
