オピニオン
2019年11月1日
水のごとく、お寺参り
私が住職をさせていただいているお寺の数少ない信徒さんに2人の信心深い女性がいる。1年のうち余程のことががない限り時間は違うが朝にお参りに来て小1時間お勤めして帰る。彼女らは先々代住職の信徒さんで住職が代わってもお参りに来る。普通、住職が代わるとどこかに行ってもおかしくないものである。私が特別に行と学を身に着けているわけではない。先々代と出会い法華経とお題目のありがたさを知り、毎月の唱題行・信行会・年中行事には欠かさず参詣する。特異なことは先々代の月供養を自分たちで始め、34年経っても続けていることである。その姿に住職として自然と合掌してしまう。まさしくこれは、日蓮聖人のご遺文『上野殿御返事』にある、水のごとく信ぜさせ給へるか…である。人生は順風満帆ではなくさまざまなことが起こるが、彼女らは川を流れる水のごとく、今日もお寺に足を運んでいる。
(静岡西部布教師会長・松田成幸)