ひとくち説法
2017年10月20日号
家族に感謝
5月5日こどもの日の朝、母が永眠しました。93歳の長寿とはいえ、晩年の8年間は認知症との闘い。自宅で介護し看取ろうと決めたその日から、言葉では語り尽くせないほど苦労の連続。母もさぞ辛かったと思います。日ごと薄れていく記憶に負けまいと、起きてから休むまでのすべてを事細かくノートに記す毎日でしたが、最後は自分の旧姓と誕生日の記憶だけが残る状態でした。
葬儀の日の夜、私は家族の前で手を合わせ頭を下げ、今まで苦労を強いてきた詫びと感謝の気持ちを言葉にしました。
日蓮聖人のお手紙には「ご主人が身延まで来られて、母が亡くなった悲しみは深いけれど、臨終のありさまがよかったことと、妻が母によく尽くして看病をしてくれたことの嬉しさは、いつの世までも忘れることができない。と言って喜んでおられましたよ」と労いのお気持ちを綴られています。昔も今も変わらぬ家族への感謝。
(長野県布教師会長・大橋 一雄)
2017年10月10日号
次世代に繋ぐ
夏休みにお寺の生活を体験したいという小学生3人を預かりました。今どきの小学生が朝晩のお勤め、掃除など寺の生活になじめるか心配でしたが、約束の5日間頑張りました。後日、親御さんから「家で息子が家族の前でお経を聞かせてくれました。普段落ち着きのない娘が長いお経を写経できたのに驚きました」と電話が。日蓮聖人は「末法に入って法華経を持つ男女の姿より外には寶塔なきなり。若し然らば貴賤上下を撰ばず、南無妙法蓮華経と唱ふる者は、我が身寶塔みして我が身又多寶如来なり(『阿仏房御書』)」とご教授下さっております。不信だらけの世の中、目に見えない仏さまの教えを信じ持つことは大変なことです。また、こんな時代だからこそ、大切なことなのです。私たちは、親から受け継いだ尊い仏のみ教えを、子や孫に伝えていく責任があります。菩提寺の行事には是非、お子さんやお孫さんとご一緒にお参りし、仏さまとご縁を結んで下さい。
(静岡西部布教師会長・杉本蓮修)
2017年10月1日号
生(逝)き方
「生き様」ということばは実に嘆かわしい。それは「死に様」という、これまた人の死を罵った語から派生した造語に過ぎないからだ。このことを理解すれば、人がこの世で生きていくこと、すなわち「人生」は、人の「一生」を言うのであるから、こんな気負った表現は甚だおかしい。
ある高齢男性が、「あなたにとっての幸せは」という問いに「私が亡き後、孫たちやその後の者が手を合わせてくれること」と応えた。このことばには、私自身がこの世からいなくなっても、信仰を継承し、手を合わせることで先祖を受けとめてくれる。言い換えれば、この男性は生前中に明確な信心を持ち、家庭や社会においても信仰ある生活を送られたという裏付けがあることに気がつく。
人生とは、どのように生きるかを問う時に、いかに逝くかを考えることだろうと思う。正に臨終の事を習う大切さを考えたい。
(静岡県中部布教師会長・塚本 智秀)