オピニオン
2017年10月1日
生(逝)き方
「生き様」ということばは実に嘆かわしい。それは「死に様」という、これまた人の死を罵った語から派生した造語に過ぎないからだ。このことを理解すれば、人がこの世で生きていくこと、すなわち「人生」は、人の「一生」を言うのであるから、こんな気負った表現は甚だおかしい。
ある高齢男性が、「あなたにとっての幸せは」という問いに「私が亡き後、孫たちやその後の者が手を合わせてくれること」と応えた。このことばには、私自身がこの世からいなくなっても、信仰を継承し、手を合わせることで先祖を受けとめてくれる。言い換えれば、この男性は生前中に明確な信心を持ち、家庭や社会においても信仰ある生活を送られたという裏付けがあることに気がつく。
人生とは、どのように生きるかを問う時に、いかに逝くかを考えることだろうと思う。正に臨終の事を習う大切さを考えたい。
(静岡県中部布教師会長・塚本 智秀)