オピニオン
2016年3月20日
降誕の意義
「日蓮聖人降誕八百年」これを世間的な「誕生」と同義語と解釈してしまうと「降誕」の意義が、泡沫に帰してしまいます。「降誕」とは、聖人(せいじん)が生まれる際に用いられる言葉です。
日蓮聖人の誕生を「降誕」と称する意義について、そのご生涯を『法華経』を繙解かずに、世間的な偉人伝=高僧伝として学んでも、宗教的、あるいは、信仰的意義を知ることは到底できません。
日蓮聖人に「本化上行」「法華経の行者」等と冠をつけて称しますが「日蓮聖人のご生涯、61年の歴史的事実は、法華経に説く宗教的必然であった」という意味です。それは、日蓮聖人の誕生は、法華経に約束(説示)されたもので、ご生涯を通し、法華経を真実=事実のものとしたということです。ゆえに「降誕」と称するのです。法華経を離れて日蓮聖人の存在はなく、ここに私たちは、他宗の祖師との隔絶の差を知り「本化上行」「法華経の行者」の「降誕」を慶讃するのです。
(大阪市布教師会長・村尾泰孝)