オピニオン
2016年3月10日
言葉の由来に仏教が
日蓮宗と浄土真宗について、古来、対比して使われる言葉がある。「だんだん良くなる法華の太鼓」とは、毎日練習すれば上手になる。「法華の法知らず、門徒物知らず」とは、従来の地域の風習や習慣と違うことをして作法を知らないこと。「馬の耳に念仏、法華のお題目」とは、人の意見や忠告に耳を貸そうとせず、少しも効果がないこと。「朝念仏に夕題目」とは、しっかりとした自分の意見や考えがない。「おそれ入谷の鬼子母神」とは、相手の言うことには同意するが、そのまま認めるのはしたくないことを指す。
これらの言葉は2つの宗教が同時期に一般庶民に広まり、字の読めない人のために、平等に信仰する機会と救いを与え、互いにライバルとして競い合った証拠でもあろう。言葉の由来は忘れられる運命にあるかもしれないが、法華経とお題目の信仰の歴史の「あかし」として、後世まで伝え残したい言葉である。
(京都府第2部布教師会長・内田雅友)