ひとくち説法
2016年2月20日号
尊いおこない
世の中を見ますと、目、耳を疑うような凄惨で酷い事件が飛び込んできて心が痛み、行く末を案じてしまいます。時を同じく身を置いている者としては日々安穏であれと願うのは皆、同じかと思います。
身を置くということからいえば家庭・近隣・地域、広げれば国・世界の一人ということです。私たちは時を同じく生まれ、その中で多くの縁の中で生かされている存在であり、命なのです。この世は娑婆(忍土)といい困難なことだらけです。それはご先祖さまの時代も私たちも、続く子孫たちも同じです。法華経・お題目のご縁を結んだ私たちは久遠本仏さまに下種された者同志。同体の種に気付き仏子の自覚に立ち、身・口・意にお題目を唱え、生きとし生ける存在に敬いと感謝の心をもって接しましょう。そして大いに反省し、開花、結実に向け、ともに歩を進めましょう。現実忍土の修行、功徳こそが何より尊いのですから。
(福井北部布教師会長・奥野文長)
2016年2月10日号
命を尊ぶ
昨年、フランスで100人以上が犠牲になるテロが発生しました。ISが関わったことは、皆さまご存知の通りです。
イスラム過激派の教義に「命を尊ぶ」ということがないのかと思うことがしばしばありました。アメリカ同時多発テロ、何の関係もないジャーナリストを殺害したり、あるいは自爆テロ…。将来のある若い人たち、大切な家族のある方のことを思うとやりきれない思いに駆られます。自分たちは間違った方向に行っているんだなどという思いはまったくないのでしょう。
一方で、日本でもつらく苦しい思いをしている若い人たちがいます。自殺をはじめ、いじめ、不登校、ブラック○○など、根本には長く続く不景気が原因かもしれませんが、周りの人に感謝し、ご先祖さまに手を合わせ、自分だけでなく他人も大切にする心(もちろん命も)を持ってほしいものです。
(福井県南部布教師会長・遠藤建峰)
2016年2月1日号
まず唱えること
20年ほど前、師僧のお寺で修行していたときの話です。
ある日、一人の女性がお寺を訪ねて来て、玄関先でいきなり「なんでお題目がありがたいのですか? なんでお題目でなければいけないのですか?」と、問われました。
私がしどろもどろしながらも色々な言葉を用いて一生懸命に説明していたところ、途中から来た師僧がその女性に一言。
「今日から毎日30分間、1日も欠かさず、1年間唱えなさい。1年経っても分からなければまた来なさい」
1年後、その女性が再びお寺に来られ、涙ながらに「お題目のありがたさが分かりました」と、深々と頭を下げてお礼を言われました。
私は理論よりも〝まず唱えること〟の大事さを痛感し、以後、檀信徒と共に唱題の実践行に努めております。
(福井県中部布教師会長・廣橋是晃)