オピニオン
2015年10月10日
ぶたれ坊
江戸時代の終わり、鏡岩源之助(本名・加藤助三郎)という力士がいた。父は鏡岩濱之助。時の英傑、雷電為右ェ門に土を付けるなどの活躍をし、小結まで務めた名力士であった。立派な体躯に恵まれた助三郎、周囲の期待を背に角界に入り、父の四股名「鏡岩」を継いだ。2代目鏡岩の通算戦績は6敗4休。土俵上で一度も勝ち名乗りを受けることなく廃業した。故郷に戻った助三郎は宿屋を営んでいたが、奉公人をこき使うなど、地域に尽くした父とは反対に、悪い評判ばかりが聞こえた。そんなある日、妙泉寺大徳(岐阜市加納妙泉寺第13世本受院日芳上人と伝わる)の導きにより仏道に入ると、これまでの行いを反省し、中山道を行き交う人々のために茶を振る舞ってもてなした。傍らには自身の等身大の木像を置き、罪滅ぼしに棒で打ってほしいと乞うた。偉大な父との葛藤を離れて、我が道を見つけた助三郎。助三郎の木像は「ぶたれ坊」と呼ばれ親しまれている。
(岐阜県布教師会長・天田 泰山)