ひとくち説法
2014年7月20日号
命輝く時
法華経は自分が好きになる教え、自分が好きになる生き方を勧める教えです。とても簡素で易しい教えなのにどうして理解されない、とお釈迦さまは心配されたのでしょうか。私たちは自分が好きになれないので、自分が好きになれるものを外に求めて、自分を好きになろうと努めたからです。それのどこがいけないのでしょう。外にあるものは一見自分を高めてくれるように思えるのですが、どんなものでも内なる宝に比べたら、取るに足りないものばかりだからです。
いつ自分の中にある宝に気づけるのでしょうか。求めて求めて得た宝が本当には自分を守ってくれなかったという事実を知る時です。この世の無常を知るということですか。そうです。知っていても実感するためには辛い年月を必要とします。気づいた時にはもう時間がないということもあります。でも一日でも自分の命が輝く時を過ごせたら、生まれてきた甲斐があるというものです。
(香川県布教師会長・高岡 完匡)
2014年7月10日号
菩薩になろう
人助けをする人を「菩薩」といいます。
先頃、川で溺れている人を救助した方がおられます。そうです! その方が菩薩さまなのです。
妙法蓮華経方便品に「但教化菩薩(お釈迦さまの目的は人々を菩薩にすること)」とあります。だから法華経を信仰する私たちは菩薩となって人助けをしなければなりません。でも、私たちは凡人。菩薩さまになるとか、人助けをするとかは、大それた行為、肩の荷が重過ぎます。でも大丈夫! 身近なところから始めればよいのです。
例えばご主人が病気になった時、奥さんが「私がズッと側にいてあげる。私が力になってあげる」と声をかけると、ご主人は「心配をかけてスマンなぁ。ありがとう」と涙がこぼれ、両手を合わせて奥さんを拝みたくなるはずです。そのとき、ご主人が両手を合わせて拝もうとしているのは、もはや奥さんではありません。菩薩さまです。
そう! 簡単に菩薩さまになれるのです。
(鳥取県布教師会長・山根慈弘)
2014年7月1日号
合 掌 礼
もう20年も前のことですが、今でも鮮明にそのときの情景が目に浮かびます。
岩手県のあるお寺に、お説教に呼ばれました。その帰り、ご住職も東京へ所用があり出掛けられるとのこと。花巻駅までお檀家の若い方の運転で、山を越えて送って頂いたときの出来事です。花巻駅に到着して私はお礼を言って車を降り、駅の方へ進みましたが、ご住職がおいでにならない。振り返ってみるとご住職はベレー帽を小脇に挟み、合掌して若い方を見送っておいでになる。
慌てて傍まで戻ると、小さな声でお題目をお唱えになって、車が見えなくなると深く頭を下げられたのです。まったく自然でなんとも神々しいお姿でした。
私は感激しました。涙が溢れそうでした。どんな教えより有り難く、心の奥に響く教えでした。私は人の良いところはまず真似ること、と思っているので、それ以来素直に実行しています。
(島根県布教師会長・吉田亮善)