オピニオン
2013年1月20日
浄土は作り上げていくもの
「きよい」という漢字には「清」と「浄」があります。では何故「清土」ではなく「浄土」と呼ぶのでしょうか。
清の字は青い水と書き、清流のように元々きよらかなものを意味します。浄は浄化のように、穢れたものをきよくするという意味があります。浄土の反対語は穢土です。穢れとは「気枯れ」が語源で精神的に弱ること、うまくいかないことを言います。浄土とは精神的に充実した世界のことを示しています。また浄の字はサンズイに争うです。争うという字には訴える・諫めるという意味があり、間違った考えには決して従わず、正すということです。全ての人々が話し合い、努力・協力して作り上げていくのが浄土なのです。
ゆえに日蓮聖人は「浄土と穢土、それはただ私たちの心の善悪によるのだ。心を清浄にすることによって浄土が顕現する。お題目でしっかり心を磨きなさい」と示されておられるのです。
北海道北部布教師会長 香川 一乗