全国の通信記事
2026年1月20日号
東京北 寒行
【東京北】大寒の一月二十日より節分の二月三日の十五日間に渡り、東京都北部管内寺院有志による寒修行が行われ、隊列を組んだ寒修行僧の大きな声と太鼓が谷中の町に響き渡った。
日蓮宗では一年で最も冷え込む大寒の時期に御題目「南無妙法蓮華経」を唱え、団扇太鼓を打ち鳴らす寒修行(唱題行脚)が各地の日蓮宗寺院で行われている。東京北部では谷中を拠点として、池之端や北区の寺院に至るまで唱題行脚をして巡っている。本年は一度も雨天中止とならず、最終日は月明かりが照らす中、無事に終了することが出来た。
路上にて地域の皆様の年中安泰を祈り、各寺院では御祈念と先師に対する御回向と報恩感謝を申し上げた。寒空の中、毎日お迎えをして頂いた各寺院の関係者、町中や軒先にて手を合わせてお祈り頂いた町の皆様に触れ、長年続く寒修行の意義と歴代参加の僧侶の想いを実感した十五日間であった。
2025年12月4日号
東京北 第65回教師研修
【東京北】令和7年12月4日、東京都北部布教師会主催の第65回教師研修会が東浅草 正法寺(佐野詮修住職)に於いて開催された。
講師には開催寺院のご住職である佐野詮修上人より「~寺を取り巻く歴史・文化の魅力を発信 大河ドラマ「べらぼう」と正法寺の取り組み~」と題してお話を頂戴した。
令和7年より現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の主人公 蔦屋重三郎(喜多川柯理)の菩提寺でもある浅草正法寺、ドラマの放送を契機に寺や郷土の歴史・文化の魅力をいかに工夫して発信してきたか、地域・行政・ミュージアム等との協働・連携、SNS・ホームページ・印刷物等の活用、新聞・雑誌等メディア関係の取材対応、聖地巡礼に訪れた参拝者等への対応など、その成果と課題について、詳しくお話を頂戴した。
まずもって大変苦労されたのは正法寺様は関東大震災、東京大空襲といった幾度の被災により過去帳・什物等、歴史を辿る多くの術を失っていることから、国会図書館、台東区図書館等に趣き様々な文献を収集することであった。そして情報の発信においてはホームページを開設して居なかった為、無料であった宗門のHP作成サービスを活用し情報の発信、XでHPでの記事を投稿し、お参りに来た歴史インスタグラマーと言った発信力のある方々にフォローをして頂いたことが大変良かったという。また、墓碑の近くに貼り紙をすることによってお参りするのに沿って情報を伝えられた事が結果、本質を理解することに繋がって数多くに方々に大変丁寧にご参拝頂くことが出来たと仰る。一年間を通してお寺の法務と年間行事がある中で檀信徒との兼ね合いもありつつ、法務中においてもお参りに来る一般参拝客の対応等、千載一遇の機会と思い日々、努力を重ねてきたが振り返ってみると至らなかった点が多く力不足であったとお話になる。また、「寺離れ、宗教離れ」と言われている昨今にあっても、今回大河ドラマを通して色々な人と関わりの中で、我々僧侶は「神仏と関わる者」「一般人と違う存在」として対応される部分を思ったより感じる事ができ、それは自分の力ではなく、日本人の根底にある信仰の現れではないかと仰る。それが無くならないよう、ご自身も精進していくと述べられた。最後に研修会参加者一同と蔦屋重三郎家の墓碑の前で一読し、追善供養をして講習会は無事閉会となった。
今回お世話になった東浅草 正法寺は天正10年(1582年「本能寺の変」の年)に心壽院日位上人により開山され、日位上人は日蓮宗中興 一如院日重上人の直弟で比叡山遊学の折に毘沙門天の尊体を感得、学頭の許しを得て関東に下向し隅田川の辺りに庵室を結ぶ。毘沙門天を奉安し日夜法華経読誦するところ、通りがかりの徳川家一行より天下平定成就の依願を受けて「謄精を抽んじ祈祷し」徳川の世となった暁に東照神君より寺領(現在の正法寺、東浅草の地)を賜り、日位上人の生国 越前城主松平越前守の祈祷所となる。
江戸中頃には祈祷の大家 唯観院日勇上人が唯観院流という修法の流派をなし活躍、江戸後期には浮世絵の版元・江戸の大文化人である蔦屋重三郎家の信仰を請けご先祖が葬られその供養菩提を今も弔っている。
関東大震災、東京大空襲等幾度の苦難があったが、歴代砕身の護寺丹精が重ねられ平成6年には寺観新たとなり、毘沙門天の霊威いよいよ盛んにして法灯を現在に伝えている。
2025年9月11日号
東京北 檀信徒研修道場
【東京北】令和7年9月11日、に千葉市若葉区の本山妙興寺(小沢日尤猊下)於いて、檀信徒の信行並びに信行推進者の養成を目的とした「檀信徒研修道場」が教師29名、檀信徒22名が集い開催された。上野駅前駐車場よりバスにて出発した一行は妙興寺に到着後、開会式が行われ荒居稔宣宗務所所長、東京北部選出宗会議員渡辺彰良上人がご挨拶された。引き続き御開帳法要では小沢日尤猊下導師のもと執り行われ、ご挨拶では大変丁重なる縁起説明を頂戴した。
引き続き、講師に落語家の柳家我太楼師匠を迎え、自作落語「日蓮さまのお題目」を披露して頂いた。我太楼師匠の並々ならぬ日蓮聖人のご生涯を学ばれた努力が垣間見れるものであり、大変刺激を受ける内容となっており、参加者一同身を乗り出して聞き入っていたのが印象的であった。昼食後、「報恩法要」を大導師に荒居稔宣宗務所所長、副導師に新井智顗布教師会会長、竹内煌雲修法師会会長、神保泰晴社教会会長、菅野龍清声明師会会長のもと法要が厳修された。法要では檀信徒への法楽加持が行われ大迫力の読経とご祈祷の声が響き渡り、大衆法楽では参加された檀信徒を囲み、参加の檀信徒は身命に合唱をしてお題目をお唱えしていた。閉会式では冠哲史伝道事務長より総括を賜り、成満の檀信徒に記念品を授与した。
閉会式後、諸堂参拝をした後、妙興寺をあとにした一行は「加曾利 房の駅」でお買い物を楽しみ夕刻には上野駅前に無事の到着を以て全行程を円了した。
今回会場となった妙興寺は建治元年(1275)、宗祖の檀越・曽谷入道教信の子である曽谷四郎左衛門直秀が出家して道崇と号し、現境内の南方(800
メートル)に鹿島支流を隔てた加納ヶ丘の地に法華の道場を開いたことに始まる。
慶長元年(1596)僧侶の教育機関として寺内に開設された「野呂檀林」は当時として稀れに見る大講堂を有し、寛文元年(1661)には碩学・安国院日講上人が『法華玄義』『法華文句』を講ずると全国から学徒が集まり隆盛をきわめた。しかし、天保5年(1834)の山火事で堂宇を失い、檀林は閉校となる。すぐさま再建あ図られ、庫裡や本堂が建立され今日まで七百余年の法灯を伝えている。また、東日本大震災で被害を受けた一切経蔵は、多くの人々の支援によって再建された。200年以上にわたり宗門の中心的な教育殿堂としての役割を担っていたとともに、古くから地域の人々にとって安産や子供の健やかな成長を祈願する「子安講」が今なお続いている。



















