2025年9月11日
東京北 檀信徒研修道場
【東京北】令和7年9月11日、に千葉市若葉区の本山妙興寺(小沢日尤猊下)於いて、檀信徒の信行並びに信行推進者の養成を目的とした「檀信徒研修道場」が教師29名、檀信徒22名が集い開催された。上野駅前駐車場よりバスにて出発した一行は妙興寺に到着後、開会式が行われ荒居稔宣宗務所所長、東京北部選出宗会議員渡辺彰良上人がご挨拶された。引き続き御開帳法要では小沢日尤猊下導師のもと執り行われ、ご挨拶では大変丁重なる縁起説明を頂戴した。
引き続き、講師に落語家の柳家我太楼師匠を迎え、自作落語「日蓮さまのお題目」を披露して頂いた。我太楼師匠の並々ならぬ日蓮聖人のご生涯を学ばれた努力が垣間見れるものであり、大変刺激を受ける内容となっており、参加者一同身を乗り出して聞き入っていたのが印象的であった。昼食後、「報恩法要」を大導師に荒居稔宣宗務所所長、副導師に新井智顗布教師会会長、竹内煌雲修法師会会長、神保泰晴社教会会長、菅野龍清声明師会会長のもと法要が厳修された。法要では檀信徒への法楽加持が行われ大迫力の読経とご祈祷の声が響き渡り、大衆法楽では参加された檀信徒を囲み、参加の檀信徒は身命に合唱をしてお題目をお唱えしていた。閉会式では冠哲史伝道事務長より総括を賜り、成満の檀信徒に記念品を授与した。
閉会式後、諸堂参拝をした後、妙興寺をあとにした一行は「加曾利 房の駅」でお買い物を楽しみ夕刻には上野駅前に無事の到着を以て全行程を円了した。
今回会場となった妙興寺は建治元年(1275)、宗祖の檀越・曽谷入道教信の子である曽谷四郎左衛門直秀が出家して道崇と号し、現境内の南方(800
メートル)に鹿島支流を隔てた加納ヶ丘の地に法華の道場を開いたことに始まる。
慶長元年(1596)僧侶の教育機関として寺内に開設された「野呂檀林」は当時として稀れに見る大講堂を有し、寛文元年(1661)には碩学・安国院日講上人が『法華玄義』『法華文句』を講ずると全国から学徒が集まり隆盛をきわめた。しかし、天保5年(1834)の山火事で堂宇を失い、檀林は閉校となる。すぐさま再建あ図られ、庫裡や本堂が建立され今日まで七百余年の法灯を伝えている。また、東日本大震災で被害を受けた一切経蔵は、多くの人々の支援によって再建された。200年以上にわたり宗門の中心的な教育殿堂としての役割を担っていたとともに、古くから地域の人々にとって安産や子供の健やかな成長を祈願する「子安講」が今なお続いている。



















