全国の通信記事
2024年2月17日号
長崎 高野光拡師帰山式
【長崎2月17日(土)佐世保市小佐々町の本立寺において、住職 高野光拡上人(実成院日戒)の第参行帰山奉告式が行われた。九州の出行僧が出仕して、力強いご祈祷に檀信徒が涙する姿が印象的だった。「大黒様と向き合い、亡き師父の背中を追ってやり遂げた百日間の修行でした。」と静かに語る高野上人からは深い感謝の気持ちが感じられた。
2024年2月10日号
長崎 信徒青年の集い佐世保地区大会
【長崎】令和6年2月10・11日、長崎県では「信徒青年の集い 佐世保地区大会」が開催された。長崎県では平成15年より「信徒青年の集い」を開催している。本会は長崎県日蓮宗信徒青年会(金子宗弘会長)が主催する学習・交流の場である。前回の開催は令和元年、感染症の影響で4年ぶりの再開となり、1泊2日の行程で長崎県佐世保地区を会場に実施された。
1日目は佐世保市日親寺において開会式では、県内青年僧の御祈祷を受けてそれぞれの健康・信仰の充実を祈っていた。その後、日親寺住職の今泉智薬上人の講演が行われた。柔らかな語り口の中にも信仰の熱量が伝播するようなお話で、信徒青年は深くうなずきながら耳を傾けていた。そして、日蓮宗宗務院より太田順祥伝道課長の講演となった。東京の宗務院より講演にいらっしゃるといことで、はじめは聴衆の方が緊張していた。しかし太田課長のお話が始まると、洗練されたお話しに会場はときに笑い、ときに納得の表情で聞き込んでいた。日蓮宗信徒として柱となる日蓮聖人の三大会の話は大変勉強になったと参加者が語っていた。
2日目は朝から佐世保市内の寺院を参拝した。日親寺・正法寺・立正寺の3ヶ寺を参拝し、それぞれのお寺の歴史や風習を自分の目で学び、それぞれの菩提寺に持ち帰るものが多かったように思う。
日頃会うことがない信徒青年同士が「横」の交流を深める機会となり、来年の再会を約束して解散となった。長崎における日蓮宗の盛り上がりは、僧侶だけではなく中心となる檀信徒もそれを担っていることが感じられる取り組みであった。
2023年8月21日号
長崎 梶原北天上人本葬儀
【長崎】8月21日、長崎県西海市実相寺院首梶原北天師の本葬儀が、日蓮宗管長菅野日彰猊下大導師のもと、副導師に長崎管内寺院である光伝寺院首池田弁岳師、誠孝院住職松尾辨尚師、妙法寺住職渡部智文師、妙宣寺住職小佐々恵宏師、そして有縁の式衆出仕により、数多くの教師・檀信徒・有縁の方々と共に厳かに営まれた。
まず本葬儀に先立ち一級法功彰が管長猊下より御宝前にて授与、歎德文では60余年に及ぶお二人の思い出を時に声を詰まらせながら述べられた。弔辞は田中恵紳宗務総長、島原市護國寺住職岩永泰賢師、大島造船所南尚氏より述べられ、北天師の言説布教の素晴らしさや宗門企画立案などの手腕、人との触れ合いを大切にし「お寺をより楽しくする」を念頭に活動されていたこと等が挙げられた。
梶原北天師は、昭和12年生。昭和37年24歳で不滅山実相寺第22世住職となる。布教師会長、宗務所長、宗会議員等を歴任され、平成29年に法燈を現住職一乗師に譲るまで住職歴は55年を数え、役職を務める中、宗門の多くの教師と親交を深めてきた。
一乗師によれば、師父はとりわけ現菅野管長猊下とは本当に心を許す間柄であり、ご両人にしか解り得ない何か特別なものがあるのではと語る。また、一度会われた方は強い印象を受けるようで、実業家(大島造船所幹部役員他)、政治家(山田正彦氏)、作家(宮崎康平氏)、落語家(柳家小さん師匠、立川談志師匠)、タレント(永六輔氏、松島トモ子氏)、音楽家(中村八大氏、山口修氏)、浪曲師(澤孝子一門)、講談師(田辺鶴英一門)、将棋棋士(深浦康市氏、瀬川昌司氏)、プロゴルファー(大迫たつこ氏)など、多岐多才な方々と交流を続けてきた。そうした方々と長年活動を続けてこられた師父の凄さは、すべての人に分け隔てない心配りや気遣いが自然と出来る人柄にあったのではないかと振り返る。
北天師は「願わくば ぴんぴんころりと 我往かん 寒椿の 散るが如く」という詩を色紙にしたためており、7月14日の朝勤後、檀信徒との歓談を済ませた後、しばしの時を経て、静かに布団に横たわって眠るように遷化された。「ピンピンころりの大往生」とは、将にこのことではなかろうかと感じさせられた。