全国の通信記事
2023年1月25日号
新潟西・刈羽郡玉泉寺で長谷川泰雄上人本葬儀
【新潟西】一月二十五日、刈羽郡の玉泉寺三十世 大智院日権上人(長谷川泰雄上人)の本葬儀が執り行われた。葬儀の導師は大本山清澄寺の別当の齊藤憲一僧正(市内東城寺住職)が務め近隣の日蓮宗寺院が出仕し多くの檀信徒が参列した。
上人は昭和38年から令和3年までの58年にわたり玉泉寺の住職として護持丹精につとめたほか、新潟県西部管内では宗務所長を3期12年、布教師会長を同じく3期務めるなどし、管内の宗門運動の推進 若手僧侶の育成に尽力した。また平成3年から平成5年まで総本山である身延山久遠寺の執事をつとめ全国から参拝に訪れる檀信徒の教化布教に携わった。宗外でも法務省人権擁護委員、刈羽村村議会議員、刈羽村公民館長、刈羽村教育委員として地域の活性化に貢献するなど宗内外に手腕を発揮した。
施主を努めた玉泉寺の現住職 齊藤浩治上人は謝辞にて「このたび皆様のご協力のもと先代上人への感謝を示すことができ、長谷川上人より法燈を継承したものとして法悦の極みと感じている。玉泉寺を託されたものとして法燈を揺るがすことなくこれからも寺檀和融給仕第一に精進したい。」と決意の言葉を述べた。
2022年10月22日号
新潟西 平山要秀上人本葬儀
【新潟西】十月二十二日、柏崎市の萬福寺四十六世 遠徳院日祥上人(平山要秀上人)の本葬儀が、執り行われた。葬儀の導師は大本山清澄寺の別当の齊藤憲一僧正(市内東城寺住職)が務め市内の日蓮宗寺院が出仕し、多くの檀信徒が参列した。
上人は平成四年から30年にわたり同寺の住職をつとめ、修法道の研鑽に励み平成十八年には日蓮宗大荒行の五行成満し檀信徒教化に尽力し柏崎地域のみならず多くの檀信徒に慕われた。
宗内では、修法師会長、協議員議長などの要職を努め修法師として活躍した。
喪主を努めた萬福寺の副住職の平山要輝上人は謝辞にて「日祥上人は豪快な人物と知られていると思います。私もその姿に憧れを懐き目標としていましたが、一方とても繊細なところがあり、その姿勢から多くの事を学ばせて頂いきました。これから僧侶として師父を越えられるよう精進したいと思いますのでどうか見守って下さい。」と師匠であり父である日祥上人への思いを語った。
2022年10月16日号
新潟西 妙満寺開創五〇〇年慶讃法要
【新潟西】十月十六日 一点の曇りもない青空のもと、刈羽郡刈羽村の妙満寺(秋山文裕住職)にて宗祖日蓮大聖人の御降誕八〇〇年と月光山妙満寺開創五〇〇年を記念した慶讃法要がとり行われた。法要の導師に宗門史跡番神堂主管(柏崎市妙行寺住職)秋山文孝僧正を迎え、近隣の日蓮宗寺院の出仕のもと厳粛に執り行われ100人近くの檀信徒が集まった。当日は組地の玉泉寺から稚児行列と万灯行列が行われ、天童稚児による祭文の奉読がなされ日蓮大聖人への報恩感謝の言葉が響きわたった。また行列の先導を東京都江戸川区の本蔵寺副住職馬場玄逅師が勤め、力強い纏の演舞が披露された。妙満寺はもともと本妙寺という平安時代から続く真言宗の寺院であったが、室町時代に後継者が絶え廃寺寸前となり、大永元年に近隣の日蓮宗寺院である玉泉寺の第九代 雲哲阿闍梨日従上人の教化を受け日蓮宗寺院として再興を果たしたという歴史があり、以来五百年にわたり法燈を繋いでいる。住職の師父で妙満寺の先代住職である秋山文孝僧正は、謝辞にて妙満寺の来歴と妙満寺在籍時代の思い出を語るとともに、参列した寺院と檀信徒へ感謝と労いの言葉を贈った。法要後は講談師の一龍斉貞鏡氏による日蓮大聖人の御一代記『御誕生から佐渡流罪まで』の談が披露され、鎌倉の土牢にて囚われた師孝第一日朗上人の独白や、佐渡ヶ島での大聖人と阿仏坊日得上人の出会いなど、まるで目の前で繰り広げられているような語りに、出席した一同は固唾を呑み見守り熱心に耳を傾けた。妙満寺住職の秋山文裕上人は謝辞にて「宗祖日蓮大聖人の御降誕800年と妙満寺開創500年の聖日を、皆様と一緒に感謝と感激をもって迎えることができ心から法悦を感じている。お寺というものはそもそも皆様が幸せになるために存在している。日蓮大聖人の教えに出会えてよかった、妙満寺の檀信徒でいることはありがたい、そう思っていただける方を一人でも多く育て、この地域に霊山浄土を作っていきたいと念願している。これからも妙満寺の住職として皆様の幸せのため、命ある限り精進することを誓い感謝の言葉としたい。」と思いを語った。