論説

2017年4月1日号

「聴く力」を育もう

最近、若者の「聴く力」が低下しているのではないかとの指摘がある。これはスマホの普及により、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)といわれるツイッターやフェイスブックなどの、いわゆる文字コミュニケーションが主流となり、生の人間関係とは異なるコミュニケーション世界が展開されていることによる危惧である。
はたして、無言で指先を走らせることに集中する姿から生まれる人間関係は、どれほどのリアリティを持つものだろうか。たしかにこれらは現代社会においては非常に便利で有益なものではあるが、そこでは自分勝手な理解や誤解が生じることも多い。それがいじめや自殺、傷害事件、そして社会的混乱へと発展してしまうことも現実に起こっている。もちろん、この文明の利器を否定するものではないが、それに埋没することで、生の人間関係が希薄となり「聴く力」が低下しているとすればゆゆしき問題である。
この「聴く力」とは、ただ単に相手の話を「聞く」ということではない。目の前の相手に向かってしっかりと耳を傾け、そのことばの奥底にある心根を感じられるように、その話を「聴く」ことが重要である。「聴く」の字の旧字である「聽」の字を分解していくと「耳を突出し、真っ直ぐな心でよくきく」という意味から成立していることが理解される。「聴くこと」は相手をよく理解し、人間関係を作っていく時の基本ともいえる。
表面的なことばを少し聞くだけでは、なかなか相手の心の内まではわからないし、誤解も生じやすい。特に私たちは自分の思い込みや先入観を持って相手の話を聴くこともある。これは人生経験豊かな人ほど陥りやすい傾向もあるが、私たちは常に法華経寿量品の「質直にして意柔軟に…」の如く、いつも柔らかい心を持ち続ける必要がある。
もちろん加齢とともに「聴力」の低下は誰にでも起こり、人の話が聞きづらくなるのは当然であるが、心はいつも相手の心へと開いておきたい。あらためて私たちおとなを省みれば、子どもの言い分に対してどれだけ真剣に耳を傾けているだろうか。また、認知症の人の繰り返される話を、どれだけしっかりと受け止めて聴いているだろうか。そして、自分とは異なる意見に対して、どれだけ心を開き、真摯に耳を傾けているだろうか。
これらは、いずれも「聴く力」が必要とされるが、これには現実の人間関係の体験が不可欠といえる。進化し続けるゲーム機器は、多くの子どもや若者を虜にしており、その世界に埋没する者も少なくない。もちろんゲーム機器もスマホもその使い方しだいであり、熱中した者がすべて「依存症」となったり、「聴く力」が低下してしまうわけではない。しかし、人と人が出会い、相互の交流の中で他者を知り、理解しあって社会が構築されていくことを考えると、昼夜の別なくスマホを離さず、黙々と熱中する多くの若者の光景を目の当たりにして、少なからず危惧の念を抱くのである。
自己の主張ばかりが強調される現代社会では、相手の話に耳を傾けることが少なくなりがちであるが、まず相手の声に耳を傾け、それをしっかりと受け止めて、自己の主張を述べることも必要だろう。私たちはあらゆる意見、対立する意見もしっかりと受容しなければならないが、そのためにこそ、若い時からしっかりと人間関係を重ね、「聴く力」を育んでいかねばならない。(論説委員・渡部公容)

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2017年3月20日号

コケコッコー

子ども独りで食事をする「孤独食」。朝食を抜く「欠食」。家族が一緒に食卓についても個々人の食事内容がバラバラである「個別食」。毎食ともに同じメニューである「固定食」。これらの頭文字をとって食育では『コケコッコー』といい、成長過程にある子どもにとって情操教育、あるいは家庭環境的にも注意が必要な食卓の姿だとされる。
岩村暢子著『普通の家族がいちばん怖い~徹底調査!破壊する日本の食卓』(新潮社刊)は、正月やクリスマスなど家族イベントと呼ばれる日の食卓を長年にわたり調査研究した本である。
76枚の写真と720人の主婦たちの証言から浮きあがる家庭の姿が記されている。著者は、223世帯の食卓調査を通し子どもたちの目線で見た母親の言葉と行動の違和感を指摘し、子どもが「自らの立ち位置や判断基準も見失ってしまうような気がする」と危惧の念を記していた。実はこの書籍は今から10年前に出版された本である。
かつてのような大家族や隣近所との親密な人間関係が崩壊した現代社会。1つの家に居住していても家族1人ひとりが別々の部屋を持ち、声掛けするのもメールやラインで呼び合い会話のない「個族」や「孤族」と称される形態も決して珍しい家族の姿ではなく、いかに孤立化が進んでいるかを知る。
孤立によって起こる社会問題に家族内殺人や心中、親子間の悲惨な事件を挙げることができる。読売新聞の調査では、平成25年以降、介護殺人が全国で少なくとも179件発生し、189人が死亡。ほぼ1週間に1件のペースで事件が起こり、とりわけ70歳以上の夫婦間で起きたケースが4割を占めていると報じている。(平成28年12月5日付)
在宅介護の壮絶な現実については毎日新聞大阪社会部取材班による『介護殺人~追いつめられた家族の告白』(新潮社刊)が出版されている。事件の取材と介護家族アンケートから見える家族と支援の限界などが綴られている。他方、虐待による児童の死亡事件数は、平成25年で69人。前年度は90人。前々年度は99人(厚生労働省)である。しかし、日本小児科学会では、実数を3~5倍の約350人と推計しているという。
石井光太著『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮社刊)は、ネグレクト(育児放棄)や暴力の末、子どもを手にかけた親を中心に見た家庭という密室で起こった事件を取り上げている。
前記の読売新聞では、戦後70年余りで進んだ核家族化や非婚化、都市化により、家族や地域の支え合いが崩れ、介護殺人だけでなく児童虐待や家庭内暴力につながっていると指摘し、殺人事件のうち親族間で起きた割合は52%で10年前より8ポイント上昇したと伝えている。
今日の社会はプライバシーという壁があり、各家庭に関与することは難しいが、痛ましい事件の一因が家族の孤立や絶望であると知るとき、行政の支援や制度を問うだけでは加害者をつくらず、被害者の生命を救うことはできない。
寺には今も信頼と習慣が残る。お経まわりで家に上がる事も可能であり、親子家族での寺参りを促す工夫もできる。こども食堂やおやつクラブ、フードバンクなどの活動を通し地域とのつながりの場をつくる事もできよう。
安穏なる社会づくり、人づくりは、生きとし生けるものの「笑顔づくり」である。
(論説委員・村井惇匡)

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2017年3月10日号

覚りに向けての歩み

キリスト教をはじめとする一神教と仏教との違いの第一は、「その宗教における究極の価値と人間との関係」であろう。一神教において究極的価値あるものは「神(創造主)」であり、仏教では「仏陀・覚り(涅槃、諸法の実相)」である。一神教における神は唯一の創造者として万物の上に君臨しており、「人間は絶対に神にはなれない」という点において、両者の関係は永遠に断絶している。ところが仏教(特に大乗仏教)の場合、「人間は覚りを得ることで仏陀になれる」という立場に立っており、一神教との差違が際立っている。仏教が「仏陀の教え」であると同時に「仏陀になるための教え」と言われる所以もここにある。
一神教と仏教との違いの第二としては、「聖典と真理との関係」が挙げられる。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」一.一)からも分かるように、一神教における聖典は「神のことば」であるのみならず、「神(=真理)」と同一視され絶対視されている。ところが仏教における「仏陀のことば」(仏典、経典)は、真理とは同一視されないのである。その証左の一つとして、釈尊が今生で敢えて成道を示現された後に、〝自分の証得した真理を説いても理解されない〟との理由で、数週間に渡って沈黙し続けられたことが挙げられる。成仏・涅槃という境地は、独り釈尊のみが証得された内的体験である。その当時、同じ体験をして仏となっていた者がいなかったため、自らの体験をことばに出して他者に伝えることが、釈尊にはどうしてもできなかったのである。仏の体験した境地(諸法の実相)は、同じ体験をした仏同士でしか共有できない。このことを『法華経』は、「唯仏与仏乃能究尽諸法実相(ただ仏同士のみが、諸法の実相を究め尽くしている)」と教えている。
もし釈尊がそのまま沈黙を守り続けていたとしたら、この世に「仏教」という宗教が誕生することはなかったであろう。ところが釈尊は、数週間にわたる沈黙と葛藤の後、遂に衆生に対して説法することを決意された。そして鹿野苑における、五比丘に対する初めての説法「初転法輪」へと連なっていくのである。ただし、いかに釈尊が説法を決意されたとはいえ、釈尊は依然として「自らが証得した真理、諸法の実相」を、衆生に対してことばで説明する術は持たれていなかった。では、真理を伝える術を持たれていないにも拘わらず、なぜ釈尊は説法を決意されたのだろうか。それは、「真理を伝える」ということを断念し、「人々を真理へと導く手段を講じよう」と思いを新たにされたからに他ならない。だからこそ、初転法輪で真っ先に説かれたのが、覚りに向けての歩みである中道(八正道)だったのである。
初転法輪以降、入滅に到るまで、釈尊は多くの教えをお説きになった。それらが「仏陀のことば」として、後代に経典として編み上げられていったのである。ときに「八万四千の法門」とも呼ばれる膨大な経典群は、古来「諸経の王」と評される『法華経』をはじめとして、その全てが私たちを覚り・諸法の実相へと導くために説かれたものであって、仏教における真理そのものではない。私たちは経典の教えに導かれ、自らが真理へと歩んでいくのである。しかも、諸経の王たる『法華経』のエッセンスは、お題目の七文字に具わっているとお祖師さまはお教え下さった。私たちはお題目をお唱えするときに、間違いなく覚りへと歩ませていただいているのである。(論説委員・鈴木隆泰)

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今年の1月13日の御年頭会の日も晴天にめぐまれました。

日蓮聖人の新年初の月命日はいつも晴れます。

みなさま今年もお元気でがんばっていきましょう!

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