論説

2022年3月20日号

誰ひとり取り残さない

筆者は小学生の時、近所のお宅が居場所であった。そのお宅は夫婦と子ども4人の家族。車輌の解体業を営んでいたが、子どもの眼から見ても経済的に裕福とは映らなかった。しかしながら、そのお宅のお母さんが誠に面倒見の良い人で、誰彼の分け隔てなく、おやつの時刻ともなれば、ふかした芋やゆで卵を近所の子に振舞っていた。筆者の家は事情があり、家に居辛くなりこのお宅で食事や入浴、勉強のお世話になっていた。幼い筆者にとって、このお宅はサードプレイスであったと思い起こすことができる。
サードプレイスとは、自宅とも職場でもない居心地のいい第3の居場所をいう。アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグ氏が『ザ・グレート・グッド・プレイス』の中で提唱した。サードプレイスとなりえる条件はあるが、その場が自己にとって中立・平等・会話が成立することが鍵となる。
あらためて今日の世相を観ると個々の存在は何らかの分類、いわゆるカテゴリーに区分されている。子どもであれば第1の居場所が家庭であり、学校が第2の居場所になる。社会人であれば自宅や職場を指す。
それがコロナ禍に伴う新しい生活様式などにより、リモート授業や在宅勤務が広がりを見せ、生活圏とは異なる場所での他者との交流によって生まれるさまざまな体験や気づきの機会が減少した。加えて、居場所が限定され閉塞感を身心に受け、さまざまな問題が起こるようになった。一方、こども食堂や地域食堂、プレイパークあるいは、ごちゃまぜカフェなど第3の居場所が注目され、分かち合いの場が求められる現状である。されば、この現象はコロナ禍を起因とするものであろうか。
『あんた、ご飯くうたん? 子どもの心を開く大人の向き合い方』は、2017年に発刊された中本忠子さんの書籍である。中本さんは1934年、広島県江田島生まれ。46歳から76歳まで保護司を務めた。
中本さんは、保護司の活動を通して犯罪を犯したり、非行に走ったりする子どもの多くが「お腹がすくから悪さをする」ことを知り、無償で子どもたちに食事を提供するようになり、その取り組みは保護司引退後も継続されている。今日では、NPO法人「食べて語ろう会」として活動を展開している。
彼女のもとを訪ねる子は、電気もガスも水道までも止められた家の子、暴力団の家族の仕事や母親の薬物注射を手伝わされる子など。「重たい」環境にいる子に中本さんは「よう来たの」と言って受け入れるだけ。お腹がいっぱいになればいずれ「聞きたくないことまで」話し出すという。
「孤立と空腹が犯罪のもとになる」。中本さんの持論の1つである。多くの子どもや親たちに接する中で、貧困にかかわらずどんな家庭であっても孤独を感じて追い詰められている人はたくさんいると指摘する。
皆から「ばっちゃん」と呼び親しまれ、広島のマザー・テレサとも讃えられる中本さんは、「なんとかしてあげたい!」のお節介おばさんにはなりたくないと語る。お節介おばさんというのは、花火みたいに最初だけ一所懸命で、すぐに飽きて忘れてしまう。そんなことはしてもらうほうも迷惑。細く長く続けていくことがモットーだと。
誰ひとり取り残さない―そこに求められるのは、子どもたちが生まれてきて良かった、大人たちが生きてきて良かったと思える社会の実現という永遠の課題に目を逸らすことなく丁寧に縁を紡ぐ「はたらき」ではあるまいか。
(論説委員・村井惇匡)

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2022年3月1日号

多宝塔は日本から拝することができたか

今から2500~3000年前、釈尊が霊鷲山で法華経を説かれた時、高さ五百由旬の七宝の塔が地から涌き出で、空中に留まった。多宝塔から栴檀の香が発せられ、釈尊が塔の中に招き入れられ、重要な法門が説かれた。
当時の日本は縄文末期ないし弥生時代である。その頃、日本列島に生活していた私たちの祖先が、霊鷲山に聳え立つ多宝塔を仰ぎ見て釈尊の説法を聞くことができたであろうか。
多宝塔の高さ五百由旬は7500㌔に相当し、宇宙ステーションが周回する高度約400㌔をはるかに超えている。地球の半径は約6300㌔であるから、多宝塔は地球の半径よりも高く聳えていたことになる。
当時の世界観では、人間の住む世界である閻浮提は北側を二千由旬の底辺とする台形であるとされる。現在の尺度で計算すると、霊鷲山と日本との距離は約三百五十由旬である。霊鷲山の地中から高さ五百由旬、底辺二百五十由旬の宝塔が空中に浮かび上がれば、霊鷲山から三百五十由旬離れた日本から仰角45度以上で十分に拝することができたと考えられる。
また多宝塔の幅は二百五十由旬(約3750㌔)であるから、上方に行くに従って視角が小さくなるとしても、基底部は視角31度で十分観察可能であると考えられる。
現代の球形の地球の形状に即して考えてみても、霊鷲山直上に聳え立つ多宝塔の上半部分を日本の地平線上に十分捉えることができると計算される。
日蓮聖人は、多宝塔は東の方角から湧出したとしているので、多宝塔が霊鷲山の東方の上空高くに浮かんでいるとすれば、日本からなおさら確かに拝することができる計算になる。
その時に、多宝塔中の釈迦・多宝の二仏の背面を西向きに拝するのか、或いは、地涌の菩薩や他の諸菩薩とともに、東側に正面から仰ぎ見ることになるのか、推論は難しいが、霊鷲山の諸衆と同じように東方上空に拝することができたとすれば、これほど有り難いことはない。
日蓮聖人は、故阿仏房の聖霊が多宝塔の中に西向きにおわす釈迦・多宝の二仏を、東向きに対面しているとしている。
一方、多宝如来や釈尊の音声を当時の日本にいて聴くことができたであろうか。音の伝搬速度は毎秒約340㍍(時速1240㌔)であるから、多宝塔から音声が発せられてから日本に伝わるまでに4~5時間を要することになる。しかし、かなりの時間差はあっても、日本で釈尊の音声を聴くことができたと考えても不思議ではない。
霊山浄土は、空間や時間を超越した世界であり、法華経がそのような世界で説かれたことの意味は大きい。とすれば、宝塔の大きさや出現の方角などに拘泥することは本質から遠ざかるものであろう。しかし、釈尊の在世時代と時と所を大きく隔てて生きる現代の我々凡夫が、釈尊の教えの本質に迫ろうと思いを巡らすときには、このような思考実験をすることが許されるのではないだろうか。
そして、そのような思考実験の結果として、釈尊の法華経説法の時、東方遥かの地日本で、我々の祖先が多宝塔の出現を遥拝し、栴檀の香に浴し、法華経を聴聞し、下種結縁を受けていた可能性が十分にあり、我々はその末裔であると考えれば、感慨ひとしおである。
今でも求道の志ある者には、時空を超えて多宝塔を拝し、法華経説法の音声を聞き、釈尊から手植えされた仏の種を成長させ結実させることができると考えれば、うれしい限りである。
(論説委員・柴田寛彦)

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