論説

2021年10月20日号

富士川に異変有り

 山梨・静岡の両県を貫流する富士川のことを日蓮聖人は、
  富士河と申す日本第一のはやき河、北より南へ流れたり。此河は東西は高山なり。谷深く、左右は大石にして高き屏風を立て並べたるがごとくなり。河の水は筒の中に強兵が矢を射出したるがごとし。(『新尼御前御返事』定遺864頁)
と綴られ、急流にして水量豊かな様を美事活写される。
 富士川は駿河湾に注ぐ。その駿河湾に「異変有り」というのである。異変とは、駿河湾に生息する「桜海老」が姿を消したというのだから一大事。身近な食材であるサクラエビの不漁というローカルな話題を切口に、一筆啓上しよう。
 生きているサクラエビは、ピンクダイヤに例えていいほど美しく、静岡を代表する食材で、筆者の大好物である。かつては朝食のお伴、今や高級食材である。成体は40㍉前後、体は透明、甲は赤い色素を多く保持し、透き通ったピンク色に見えて、「駿河湾の宝石」と形容されている。サクラエビの和名はここに由来し、学名は「ルセンソセルジア・ルセンス」である。日本では駿河湾及び相模灘、長崎県の五島列島沖に分布するが、漁獲対象となっているのは駿河湾だけである。この地域性豊かな生物が危機に瀕し、絶滅の恐れがあるというのだから穏やかではない。――最盛期の昭和42年(1967)には7747㌧、近年は数百から1千㌧で推移――
 サクラエビ漁は明治27年(1894)、湾奥の由比で、偶然獲れたのを機に始まった。昼間は深海にいて、日没近くに水深20~30㍍に上昇する。そこを曳き網で獲る。夏に孵化し、15ヵ月ほどで一生を終える。産卵期の夏は禁漁で、春と秋に漁が行われる。
 万葉の歌人山部赤人は〈田子の浦ゆ(中略)富士の高嶺に雪は降りける〉と詠んだ田子の浦は現在地ではなく、サクラエビ漁拠点の由比・蒲原(静岡市清水区)の海岸とされる。富士山を背景にした富士川の河川敷のサクラエビの天日干しは、静岡県の代表的風景。不漁によってそれを見合せるとは忍びないが、近年のサクラエビの漁獲量減の原因を、取りすぎの一言で片付けるだけでは能はない。漁業者の経験(智慧)と科学とをすり合わせ分析することこそ、肝要となろう。
 翻って、駿河湾奥のサクラエビの主産卵場に流れ込む謎の濁り。この濁りと不漁の因果関係が科学的に立証されていないとして、議論そのものに背を向ける空気、否定する声がある。これは悲しい。今や環境問題は世界的大命題。殊にヨーロッパでは「予防原則」を環境保全の核に据え、因果関係が実証されていなくても、悪影響が及ぶ恐れがある場合は、予防措置が取られるべきであるとする。猫の異常行動などから兆候が出始めた水俣病は、工場排水に原因があるのでは、と疑いが出た時点で対処すべきだった。原因がはっきりするまで垂れ流したため、魚を食べた人間に害が及んだ。(野家啓一インタビュー、静岡新聞2019・10・25、『科学の哲学』)
 駿河湾奥に流れ込む富士川の濁り。山梨県は本年8月24日、富士川水系の雨畑川(山梨県早川町)で、汚泥の不法投棄を続けていた採石業者が、魚毒性〈水に溶けた化学物質が、魚類に及ぼす毒性のこと〉の高い凝集剤を混ぜていたことを、長崎幸太郎山梨県知事が記者会見で明らかにした。因果関係は明確ではないものの、濁りはサクラエビの主産卵場の駿河湾奥に今もって流れ込んでいる。憂慮される状態だ。
 「源濁れば、流れ清からず」(『太田入道殿御返事』定遺1117頁)。
    (論説委員・中條曉秀)

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2021年10月10日号

負の連鎖を止めるには

 57年前の10月10日、青空の下での開会式から始まったオリンピックをカラーになったばかりの小さなテレビで観て感動し、夢を抱いていた青春の頃の思い出が今年の東京オリパラで鮮やかに蘇ってきました。
 その後の日本は急激な経済成長に伴い、夢と希望に溢れ、昭和元禄と呼ばれた華やかな時代に突入しました。その頃の古き良き昭和を多くの人が懐かしく思い出したはずです。しかし、平成に入ると経済が失速し、災害や紛争、テロの発生により負の連鎖が続きだしました。
 日蓮宗では昭和の日蓮聖人生誕750年、700遠忌をピークに平成の開宗750年頃からは、少子化、過疎からのお寺離れ、宗教離れも加わり、やはり負の連鎖が始まりました。そんな中、今年は生誕800年の記念すべき年を迎えました。昨年は龍口法難、佐渡流罪から750年。このコロナ禍でいずれの霊跡への参詣の足も遠のいたことでしょう。こんな時こそと、当寺では少人数の団体参拝とはいえ、昨年は身延山、佐渡へと、今年は歌舞伎鑑賞をかねて小湊誕生寺など千葉の本山へ参拝しました。「コロナ禍の中、初めての団参です。しかも長崎から」と、行く先々で歓待を受け、懇切なご開帳に接し、信徒は感激ひとしおでした。本来なら慶讃法要で賑わったはずの千葉の由緒寺院の閑散とした寂しさが余計に身に沁みました。記録によると、100年前の生誕700年は関東大震災の前々年の大正10年、それは盛大な法要が連日営まれ、房総半島の鉄道も全線開通以前なので乗り継いで、徒歩や人力車などでの参拝が続き、東京からは船を貸し切って海路小湊まで押し寄せてきたそうです。もし、大震災の後だったらそうはいかなかったはずです。その時の大法要の盛況と教団の興隆が目に見えるようです。
 この生誕800年の今年のお盆はコロナ禍に加え、長雨、豪雨の連続で活動を縮小したお寺も多かったと聞きます。今後のお寺や宗門の衰退が加速しはしないかと心が痛みます。これもまた負の連鎖といえるでしょう。
 同様に日本もこの連鎖に苛まれているようです。世間やメディアは政治や宗教の粗探しをしては謗るだけで、対応策も出さず、国の行く末を悲観するばかりです。まさしく末法の世の現証です。
 日蓮聖人は『上野殿御返事』で熱烈な信徒であった南条家の家督を18歳で継いだ時光のもとへ、「日蓮房を信じてはよもまどいなん。上の御気色も悪しかりなん」と告げ口する者があり、それに対して聖人は「人をけうくん(教訓)せんよりも、我が身をけうくんあるべし」と諭されました。批判ばかりして物事を正そうとしない「道理」を忘れた人びとに対する切実な悲嘆と、将来ある若者に人の在り方を教えようという日蓮聖人の慈愛でしょう。この秋の選挙での政治家の振る舞いもじっくり見たいものです。
 コロナ自粛を理由に懈怠を貪っている私たちは我が身を教訓しなければなりません。国を動かす力の根源は人間の内面、心の在り方「信仰」にあると『立正安国論』で初めて訴えられたのが日蓮聖人です。この人間にとって最も大切な心の在り方「人格」を形成するための肝心が宗教であり、妙法蓮華経です。それが今日あやふやになってしまい、人びとは何を拠り所に生きていけばいいのかが解らなくなってしまいました。この現代に真の「信仰の寸心」を今一度蘇らせることが我が宗門の急務でしょう。
 益々悪鬼が横行し、負の連鎖が続く今こそ、正しい信仰によって人格を高め、1人ひとりが善因善果の仏国土建設に精進しようではありませんか。
    (論説委員・岩永泰賢)

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2021年10月1日号

宛名敬称について

■「殿様論争」
 「〈病院長殿〉は〈病院長様〉に直してください」。
 もう20年ほど前のことになるが、兵庫県の公立病院で倫理委員をしていたとき、実験申請書でよく注意されたのが、同意書や説明書の「宛名の敬称」であった。〈殿〉は本来男性にしか使えないからNGなのだという。それに対して〈様〉は地位の上下、男女の区別なく用いることができる。〈殿〉なのか〈様〉なのかを巡って世間で「殿様論争」という議論があったことは後に知った。
■文部大臣宛の建議
 ことのおこりは昭和27年4月に国語審議会が出した『これからの敬語』(建議)らしい。「2敬称」の2に〝将来は、公用文の「殿」も「様」に統一されることがのぞましい〟とあったのである。(文化庁のHPに公開されている)。なんとわたくしが生まれる2年前にこの議論は始まっていた。(ただし「殿様論争」では〈殿〉のジェンダー性は問題にされていないようである)。
■日蓮聖人遺文中の〈殿〉
 歴史的には〈殿〉のほうが〈様〉より古かったようである。平安時代末には官職名の後ろに〈殿〉のついた例があり、鎌倉時代になると個人名に〈殿〉をつけた例も生じた。〈様〉は室町時代から見られるようになったという。(文化庁『「ことば」シリーズ21』)
 というわけで、日蓮聖人のご遺文には「入道殿」とか「弁どの」(日昭上人あての『弁殿御消息』)はあるが、〈様〉が敬称として使われた例はない。
 また女性への敬称として〈殿〉が用いられる例もほとんどない(唯一の例外は『王日殿御返事』であるが、宛名部分は真蹟がなく、王日に殿がついていた証拠はない)。「大田殿女房」とあっても「大田女房殿」はなく、また「尼御前」とあっても「尼殿」とは記されないのである。このことは、冒頭述べた病院の倫理委員会での〈殿〉使用の注意に一致する。
 昨今は役所から来る書面でも〈殿〉は減り、〈様〉が増えている。主に男性が同輩または目下のものに使うという権威的イメージの〈殿〉より、地位の上下、男女の区別なく用いることのできる〈様〉の方が世情に合って、殿様論争に勝利したのであろうか。
■女性僧侶への敬称
 女性の出家を〈尼〉という。出家者は托鉢によって生活することから「乞食者」とも言われた。これの原語の音に漢字をあてたもの(音写語という)が「比丘」。「尼」はこれに付けられた女性形語尾nīの音写である。音写語に用いられる場合、漢字の元の意味は関係なく音が用いられるだけである。孔子は、字を仲尼といったが漢字の尼に女性僧侶の意味はない。釈迦牟尼も釈迦牟という女性僧侶名ではない。
 一方「あま」という訓読みは、パーリ語の「母よ」「お母さん」という呼びかけであるamma(梵語ではamba)から来ている。
 日蓮聖人は在家出家の区別なく、法華経に帰依する篤信の女性信徒を「尼」と呼ばれた。
 当時女性の実名が記されることはなかったが、法名は残っている。「尼ぎみ」との敬称つきで呼ばれた是日尼、同じく敬称付きの日女御前、「檀那(=供養者)」と記された日眼女、曼荼羅授与書きには尼日実や比丘尼日符などの日号を与えられた女性たちもいた。
 極め付けは相模の日妙聖人と安房の光日上人である。光日上人は『種種御振舞御書』の宛名人とも言われ、真蹟遺文3通(2通は曾存)が伝えられる女性である。
 「真水さんはなんとお呼びすればいいですか? 真水上人?」
 日蓮宗僧侶となったわたくしには、そう呼ばれる以上の名誉はない。宛名敬称も「真水法尼」ではなく「真水上人」が有難い。
    (論説委員・岡田真水)

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新年のご挨拶。

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