ひとくち説法
2021年10月20日号
みんなほとけの子
コロナ禍で活動が制限されている保育園で今、子どもらが夢中になっているのが、通称「泥団子」と呼ばれる砂遊びです。この泥団子、子どもの遊びだからと高を括っていると、蕎麦職人のようなその仕事ぶりにとても驚かされます。土や砂の質を吟味し、天気や湿度を気にしながら水の分量を調節し、握る力と捏ねる過程にも気を配り、さらには1日寝かせる拘りよう。子どもらは至高の一品を生み出すために、毎日飽くなき探究心を持ち、その情熱を美しく輝く珠に注いでいます。その直向きな姿勢、宝珠を持って微笑んでいる姿を見ると、みんなほとけさまの子どもなんだなぁと感じるときがあります。質直にして意柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して…私たちも皆、ほとけの子。常に見守って下さっている仏さま、お導き下さる日蓮聖人に、素直に真面目に真剣に、ご報恩感謝を捧げる心を大切にしなければならないと改めて気付かされます。
(茨城県布教師会長・横川和克)
2021年10月10日号
命日と誕生日
ある檀徒さんのお宅にお経に伺った時のことです。今年はお祖師さまのご降誕800年ということもあり、誕生日のことが話題になりました。
「先日私の誕生日の朝に、仏檀に手を合わせてお題目を唱えていたら、亡くなった親の顔が浮かび、喜んでいると感じて嬉しくなりました」。
そして、お祝いの食事会に子や孫たちが集まった席で仏壇の前に行き手を合わせ戻ってきて、「今日は私の誕生日のお祝いであるけれども、本当は親に生んでくれたことを感謝する大切な日なのだよ」と、話をしました。すると孫が「私のお誕生会にはママとパパに生んでくれてありがとうって言うね」と言ったので、皆心から和みました、と笑顔で語ってくれました。
それから、その檀徒さんは、亡くなったご両親の命日に加え誕生日にも好物をお供えし、生んでくれたことへの喜びと感謝、祖父母にも自身の親を生んで頂いたご恩の供養を始めたといいます。
(石川県第1部布教師会長・伊藤寛仁)
2021年10月1日号
いのちに合掌
先日、夫が外国籍である家族がお寺に興味があるとのことでお参りに見えました。親子で合掌し丁寧に礼拝をしていました。一心に合掌する姿は美しく、尊く見えました。
合掌は感謝の心・素直な心・つつしみ敬う心が現れた姿であります。そこには怒りや憎しみ、おごり高ぶる慢心はありません。仏さまと一体となる祈りの姿であり、イキイキと生きる力と喜びが湧いてきます。
法華経・お題目に出会うことができた私たちは、常に大慈悲で導いてくださっている久遠本仏釈尊に合掌礼拝することが肝要です。そして大いなるいのちに包まれ生かされていることに感謝し、いのちの繋がり、自他のいのちの尊さに目覚め、敬い合う社会の実現につとめる使命があります。
「敬いの心で安穏な社会づくり、人づくり」に向かって、私たち1人ひとりの態度と行い、振舞が今こそ問われています。
(埼玉県布教師会長・石黒淳明)