ひとくち説法
2021年9月20日号
必要なもの
薬王菩薩本事品という法華経の23番目のお経に、「如病得医 如暗得灯(病に医を得たるが如く、暗に灯を得たるが如く)」という一節があります。私たちは、暗い所では灯りが必要であって、病気の時にはお医者さんが必要になります。その灯りが法華経ですよという教えです。
私たちは普段の生活の中で、その場やその時に必要なものを手にして生活をしています。
身近なことで言えば、お腹が減れば食べ物が必要であり、喉が渇けば水が必要であって、その食べ物が法華経であり、水が法華経なのです。
これと同じようにご先祖も、ご命日・年回忌・お盆・お彼岸などの節目には、供養が必要であり、感謝の気持ちで南無妙法蓮華経とお唱えしてあげることが大切なのです。
私たちに必要なものがあるように、ご先祖さまにも必要なものがあるということを心掛けて生活しましょう。
(千葉県北部布教師会長・瀬川観常)
2021年9月10日号
生き切る
生老病死、諸行無常。何となく分かっているつもり。でも我が身とは縁が薄いと考えている…、いや考えもせずに日常を過ごしているのが私たち。法華経の中に「更賜寿命」とあります。さらに寿命をいただいたと。かつて師匠と枝垂れ柳の苗を植樹しました。翌年、枝の半分が枯れてしまいました。枯れた部分を切ろうとした時、「切ってはだめだよ。切ってしまえば枝が起き上がり、子どもが通った時に目に当たる。枯れていても用があるんだよ。新芽が伸びたら切ればいい」と教わりました。これが「無用の用」。私たちも現役を終えたら用なしではなく、老いてまだ世の中に役に立つ生きがいを見つけましょう。日蓮聖人は「人の寿命は無常なり。出る気(息)は入る気を待つ事なし。風の前の露、なお譬にあらず。かしこきもはかなきも、老いたるも若きも、定め無き習いなり」と仰います。臨終までの人生をお題目とともに生かし切って歩んでまいりましょう。
(千葉県南部布教師会長・蓑輪顕寿)
2021年9月1日号
稔りの秋に
秋の稔りに感謝する季節を迎えます。千葉県は関東でも早場米の産地として有名です。8月中旬には、ご本尊さまやご先祖さまに早々と新米がお供えされ本当に有り難いことです。
巷に目をやれば、1年中、お米が店頭に並び、今では世界各地の特徴的なお米が手に入る時代となりました。諸外国の人が住み、それぞれの国のお料理屋さんや家庭料理としての需要があるからだそうです。
他の生命をいただいての私たちのいのち。あなたの命を私の命にさせていただきます。役立たせていただきます。私のいのちを通して仏さまに成っていただきます。目の前のお食事を「生命」として今一度見つめ直し、いただいたいのちに喜んでいただけるよう生きてまいりましょう。稲は変じて苗となる。苗は変じて草となる。草変じて米となる。米変じて人となる。人変じて仏となる。日蓮聖人『王日殿御返事』のお言葉です。
(千葉県西部布教師会長・木村順誠)