論説

2021年6月20日号

嘘は自分を不幸にする

 「♪折れた煙草の吸いがらで、あなたの嘘がわかるのよ……」と、東海道新幹線開業10周年の昭和49年歌謡曲『うそ』(作詞山口洋子、作曲平尾昌晃)を俳優で歌手の中条きよしはリリースする。平仮名で「うそ」と綴られるとトリッキー(ずる賢い)さが漂うから面白い。この曲には「哀しい嘘」「冷い嘘」「優しい嘘」の3つの嘘が描かれ、切ない。
 「ウソ」というものは元々バレるもの、誤魔化そうとしてまた嘘をつく、とどのつまり辻褄が合わなくなりバレてしまう。なれど自己防衛のために自分自身につく嘘もあれば、他者のためを思ってつく嘘もある。これは人間関係を円滑にするために、私たちが自然と身につけてきた智慧である。TPOに合わせて嘘を正しく使えば、人間関係はもっと良くなるし、嘘がいつも悪いわけではなく、時に嘘のスパイスも必要(碓井真史『嘘の正しい使い方』大和出版)。だが、スパイスは所詮スパイス、主食とはなりえない。
 釈尊は、私たち万物の霊長たる人間に「五戒」という生活規範を説く。その第4が「不妄語戒」である。「言葉」は「言霊」のこと。「言葉」を神霊視した言い方で、言葉の持つ不思議な霊力のことを言うが、世界にはさまざまな言語がある。言葉を介して意志の交流を手段とするのは、私たち人間のみ。他者に幸せな思いを伝えるのも言葉なら、逆に傷付けるのも言葉である。悪口(汚いことば)、両舌(二枚舌)、妄語(嘘)、綺語(おべんちゃら)の4つを「妄語」として一括りする。
 昨年2月のダイヤモンドプリンセス号以来日本は、コロナ・コロナで苦しむ。その真只中にあって政府高官の、「官」の信頼失墜は止まらない――総務省幹部の接待問題――。腹立たしくもあり、情けなくもあり、不憫に思う。事実を突き付けても、あったことをなかったことのように言う。バレなければそれで済まそうとする。平然と嘘を並べたてる。揚げ句にバレたら記憶になかったと言い張る。是は是、非は非の姿勢を貫くだけの矜持を保って、堂々と胸を張って欲しい。
 さらに由由しきこと1つ。愛知県知事のリコール(解職請求)運動を巡ってのことである。県選挙管理委員会は2月15日、提出署名の80%超が無効――約8千の鬼籍の人の署名があるから驚く――と判断し、県警に地方自治法違反の疑い有りとして刑事告発したという。明らかにこれは民意の改竄・捏造、民主主義を冒涜し、破壊させる言語道断の行為である。これも1つの嘘から始まったというから恐ろしい。徹底した捜査と真相の解明を願わざるを得ない。
 コロナ禍に陥って1年半、日本国は苦しみ悶えている。当に暗雲垂れ込める中、資金繰りに難渋する個人事業主を助けるための「持続化給付金制度」を、欲に駆られ、支給対象と偽った人たちの返還の申し出が殺到したという。支給を急ぐ余り簡略化された手続きが不正を誘発したことは否めないが、毎日毎日ビクビクして、さぞや良心が苛まれたことであろう。
 30歳で夭折した詩人の中原中也(1907~37)は詩う。
〽私はもう、嘘をつく心には倦きはてた。/なんにも慈しむことがなく、うすぺらな心をもち、/そのくせビクビクしながら、面白半分ばかりして、/それにまことしやかな理窟をつけ
る。(『嘘つきに』中原中也全集角川文庫)
 胸の内に嘘を抱えつづけるのは気が重い。
(論説委員・中條暁秀)

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2021年6月10日号

雨を喜び風を楽しむ

 「ワクチン接種の予約はできましたか」。お年寄りに尋ねると、案の定「電話がつながらない」、「つながっても待たされて」など、他所と同様に混乱しています。ワクチン接種ができると喜んだのも束の間、予約を取るのに大騒ぎです。そんな中、「孫がネット予約をしてくれました」と、嬉しそうに答えた人がいました。「それは良かった、お小遣いをはずまないとね」「もちろんです」と周囲の人たちの羨望の眼差しが少し気の毒でしたが、私も嬉しくなり、「やはり、頼りになるのは家族ですね、お寺でもお手伝いできますよ、だけど、本来なら働く若い人たちから接種を始めるべきだとは思いませんか」というと、「そうです、私たちは後回しでもいいのに」と、本音はどうか判りませんが、皆さんが声を揃えました。やはり、遅きに失したとはいえ、ワクチン接種が現実になったことで安心されたようです。
 昨年からのコロナ禍で、現代社会の歪みが露呈しました。政治経済と国民生活のバランスの問題、それを煽るメディア、右往左往する国民、数え上げれば限がありません。しかし、孫や嫁に世話になったと喜ぶ高齢者、当たり前とはいえ、家族との共助が始まったことは有意義です。併せて、心ある国民は危機感を共有し、互助や公助の精神を発揮し始めました。しかし、ネット社会の進化で従来の共同体は崩壊し、ネットやメディアを通して誤った正義を振りかざして他者を攻撃する、新しい集合体の強さに社会は潤いを失くし、古来育まれてきた日本人の大切な宗教観や価値観を喪失させ、それをコロナが加速させていきます。この危機に乗じて、家族や地域共同体を破壊しようとするリベラルな政治案件や、家庭や地域に沈殿している負の遺産による事件や事故に対して、私たち日蓮聖人の弟子たらん者は、どう向き合っていけばいいのか、コロナ後を見据えて正念場を迎えているのです。
 しかし、明るいニュースも数多くあります。中でも、スポーツ界には日本人として誇らしい活躍を続けるアスリートが続々と現れています。メジャーリーグ大谷翔平選手の豪快なホームラン。ゴルフマスターズ優勝の松山英樹選手、テニスやサッカーで活躍する凄い選手たち、中でもオリンピックの出場を決めた競泳の池江璃花子選手は、難病で苦しむ世界中の人びとを勇気づけました。「努力は必ず報われる」は正に彼女にふさわしいことばです。余人には真似できないこととはいえ、世界で活躍する同胞は私たちの生きる励みになります。
 私たちが日々読誦する「妙法蓮華経」は1400年前の聖徳太子の時代から尊ばれた経典ですが、人間の生き方よりも、自然や芸術、文学など日本人の精神的な内面を支える教えとして大事にされていました。そこに、800年前に涌現された日蓮聖人は上行菩薩や不軽菩薩を我が身に替え、人の生き方を「人の振舞」と強く主張されたのです。近年の宮沢賢治の「雨ニモマケズ」も不軽菩薩を意識して書かれたものでしょう。この賢治の真摯な生き方を、「ミスターベースボール」こと長嶋茂雄さんは、中学卒業の寄せ書きに「雨ニモマケズ」はつまらない、「雨を喜び風を楽しむ」と山頭火風に書いたそうです。その野球少年の超ポジティブな活躍は戦後日本の大きな支えとなりました。
 私たちお題目の信徒は、この世に前向きに生き続ける法華経の教えに習い、歴史に学び、時代をリードするアスリートたちにも触発されて、生きる喜びを原動力にポジティブに精進していきたいものです。
(論説委員・岩永泰賢)

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2021年6月1日号

選択的夫婦別姓と実家の追善供養

家制度とお墓
 1979年、本宗の京都市常寂光寺に「女の碑」が建った。後継を持たない単身女性たちが、血縁ではなく志縁によって建てる画期的な死後の安らぎの場となった。
 戦後「家督相続」は法律上なくなったが、「系譜、祭具および墳墓」には、民法897条「祭祀に関する権利の承継」によって「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する」という規定がある。無縁墓が増えている原因は、家制度がなくなったことだけでなく、家制度が「慣習」となって残っているからではないかという指摘がある(井上治代『女の「姓」を返して』)。
夫婦同姓という法律
 結婚による改姓によって、実家の両親や先祖の供養が困難である、という一人娘や女きょうだいだけの人たちの嘆きは、ネット上にたくさん見られる。日本だけに、夫婦は同じ苗字でなければならないという法律があり、「慣習」によって、いまだに9割以上の女性が実家の姓を捨て、それと一緒に自らの先祖も放り出さざるをえない(と考えている)のである。
 選択的夫婦別姓運動というのは、夫婦は同姓でなくてもよいと法律上認めよというものである。夫婦別姓は家族の一体感・絆を壊すと言われるが、一体感や絆は同一の苗字を名乗ることで保たれるものではない。
結婚した娘がする実父の供養
 実家の父の命日が来るというので、身延の日蓮聖人に、お供養の白米と芋を送った夫人がいた。亡父というのは駿河国松野郡の領主六郎左衛門入道。その姓・氏は不明で、聖人はこの人を「松野殿」と呼んでいらっしゃった。
 追善供養を頼んだ故松野殿の娘のファーストネームは伝わっていない。彼女の夫南條兵衛七郎は北条時頼の近習の武士で、上野郷に知行地を与えられていたために「上野殿」と呼ばれていた人である。その息子の時光もまた「上野殿」であった。それでその女性は「上野尼御前」、「上野殿母尼御前」という間柄称で呼ばれた。
 松野も上野もその時の居住地を示すものであって、ファミリーネームではない。例えば『吾妻鏡』には、三浦介義明の弟は筑井義行、子息は杉本義宗などと父子兄弟が異なる地名を冠して記されている。
 坂田聡の『苗字と名前の歴史』によると、個人に付された地名などが世代を超えて継承される「家名」になったのは、長男への単独相続が一般的になった十四世紀の南北朝内乱期以降であるという。つまり日蓮聖人が生きた時代、鎌倉武士には「家名」はなかったのである。
 「女子分」と夫婦別姓
上野尼御前ばかりでなく、千日尼、内房女房も実家の父の追善供養の布施を届けている。高木豊は、こうして女性たちが実家の「仏事営為の主体」となっていることに注目した。彼は「日蓮と女性檀越」『日蓮攷』で、女性たちが実家から相続したと考えられる財産があったとして、これを「女子分」と記した。
 鎌倉時代、財産相続の形態は兄弟姉妹全員が相続権を持つ分割相続であり、結婚しても夫婦別財の原則があった。女子分は亡き実家の両親やかの女自身の現世安穏・後生善処のための資財とされ、女子分を有する女性は仏事営為や作善結縁の主体となり得たという(高木「中世の妻女と後家と後家尼」前掲書)。また女性は結婚後も実家の姓(氏名)を使用し続けた。夫婦別姓であったのだ。
 現在、夫婦同姓の法により、結婚する者の半数が実家の姓を変えざるを得なくなる。改姓者の多くは、中世の人びとに比べて、実家の仏事供養をすることを困難であると感じている。選択的夫婦別姓はこのような状況を改善する可能性を秘めているのである。
(論説委員・岡田真水)

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