ひとくち説法
2021年6月20日号
江戸の町の祈り
故・渥美清主演のフーテンの寅さんの舞台は日蓮宗の柴又帝釈天・題経寺です。帝釈天は仏教の守護神である天部の1つで、「帝釈の身を以って得度すべき者には、即ち帝釈の身を現じて為に法を説き」と法華経・観世音菩薩普門品第25に書かれています。天明年間、江戸市中に疫病が流行したとき、題経寺第9世亨貞院日敬上人は帝釈天の板本尊を背負って江戸の町々を歩きまわり、疫病退散を祈ったそうです。大勢の人に帝釈天を拝ませて、ご利益を授けたといいます。
いま目に見えない疫病が世界中の人びとを苦しめます。やがてワクチンや特効薬がコロナを克服してくれるかもしれません。でもそのワクチンや特効薬の開発を祈っていたのは世界中の人たちなのです。いつの時代でも、困難の克服にあたっては、まずはじめに人の「祈り」があるように思います。令和の願いはコロナウイルスを乗り越えること。疫病退散の祈りを大切にしましょう。
(東京都北部布教師会長 ・土田恵敬)
2021年6月10日号
ゆるみ
人がイキイキと生きていくためには、旅行や飲食などの息抜きはなくてはならないものです。しかしコロナ禍において、それらは「3密」「不要不急」といわれます。そして、「気のゆるみ」が出ないようにと監視し合うギスギスとした世の中になってしまいました。
ものつくりの現場では、加工の誤差や経年変化による動きに対応するために、適度な「ゆるみ」を駆使します。硬く固定しすぎるとそこに力が集中し壊れる原因となってしまうからです。
コロナ禍の今、求められている「ゆるみ」とは、遊び歩いたり、飲んで騒いだりすることではなく、「一緒に悩んでくれる人がいて、つらいと言える場所があること」ではないでしょうか。我慢しすぎて自分を追い詰めたり、逃げ場を探す人を責めたりせず、ほどよい「ゆるみ」のある世の中になるように、「いのちに合掌」の心で敬い合い思いやり、お題目の縁を結んでいきましょう。
(東京都南部布教師会長・吉田尚英)
2021年6月1日号
迷惑と感謝
コロナのせいですっかり私たちの生活も変わってしまいました。リモートワークという働き方も定着してきました。サラリーマンの知人が急にリモートワークになり奥さんに「明日からリモートワークで会社には行かないよ」と言ったところ、「えーっ? 1日中家にいるの?」と露骨に迷惑そうな顔をされてしまいました。せめて「あー今日は1日中家にいてくれるのね。嬉しいわ」ぐらいは言ってくれてもと話していました。「それだけ私が1日中家にいることが迷惑をかけるんだなと気付かされましたよ」と話していました。
私たちは小さいときから「他人に迷惑をかけるな」と教えられてきました。しかし、私たちは生きている以上、ごみを出し動植物の命をいただいて迷惑をかけてしまいます。「私たちは生きているだけで迷惑をかけてしまう。だからそのことに気付き、感謝の気持ちを持ってお題目をお唱えする」ということが大事になるのです。
(東京都西部布教師会長・吉田教理)