論説

2021年4月20日号

法華経の明鏡で何を為すべきか

 小田原市蓮華寺は、同市が募集するSDGsパートナー制度に寺院・宗教団体として初めて登録された。同寺は、SDGsの「すべての人々を誰一人取り残さない」という原則と仏教の「慈悲の心」に親和性があると考え制度に応募。現在、自治会や社会福祉協議会などと相談しながら、教育格差をなくす学習支援活動の準備を進めている。羽田鳳竜副住職は「お寺だけでは難しいことも地域の人々と縁を持つことでできるようになる。長く続けられるように地道に頑張っていきたい」と語る。(3月11日『週刊仏教タイムス』)
 他方、八王子市本立寺では、同市の「居場所事業」に協力。客殿を活用して地域の小学生を対象とする学童施設を本年度も継続して開設する。さらに、市内の所有地68坪を「冒険あそび場の会」の親子や町内会とともに公園として造営。今年度からは八王子初のプレーパークを目指し、奥多摩から切った杉材で造ったパーゴラ・物見台、地下水を汲み上げた水場・ビオトープを設ける。水遊び、昆虫観察、土掘り、どろんこ遊びも楽しめる手づくりの遊び空間が誕生するとのこと。
 及川一晋住職は、本立寺新聞『山風』の中で、近隣には保育園や託児所があるが、園庭を備えていない園もあることにふれ、「小さなお子さんにもたくさん利用してもらえます」と記す。
 両寺の取り組みを見るとき、さまざまな「ご縁」を結ぶ「はたらき」、換言すれば菩薩行の実践を見ることができる。同時に今後の寺院の在り方を模索するうえで1つの方向性を示唆しているといえる。
 地域創生に詳しいマチオリ代表の佐々木文平氏は、地域活性の3要素を挙げている。
【バカモノ】固定観念を排除して現状を打破できる人。
【ヨソモノ】外部から客観的なものの見方ができる人。外の人材・事例をつないだりする人。
【ワカモノ】手足を動かせる人。汗をかいて動ける人。若い必要はない。
 あらためて日蓮宗寺院の草創期をたずねると3つの要素が揃っていたのではないかと思われる。宗祖のご誓願を体した先師が、全国随所に歩を進め錫をとどめ教えを説き仏縁が結ばれ3要素の輪が動き法城たる寺院が建立され存続してきたのではないか。寺とは人が集い語り、時に涙をこぼし、あるいは微笑を浮かべ時を過ごせる空間であったと言える。
 「開祖や宗祖は祈りの対象となり、時代とともに人々との間に距離感が生まれてしまう。しかし、人間ブッダのように実在し、素晴らしい生き方をした人たち。遠くに仰ぎつつも今に感じることができるようにしていくのが我々僧侶の役割だ」と語るのは曹洞宗宝林寺住職で東北福祉大学の千葉公慈学長である。(1月8日『中外日報』【ひと】)。
 幸いにして私どもは、教主釈尊の御心が説かれる法華経を、日蓮聖人のご文章「ご遺文」の導きを得て、我が身に当てて聞法することができる。いわば、宗祖を通した法華経の明鏡を以って、世間とそこに生きる人びとの在りようを観つめ、自己が何を為すべきかを知ることができる。
 法華経法師品には、他の仏国土に生まれることよりも、娑婆の人間として生まれ現実社会で菩薩として「如来の為すべきこと」を実践することが説かれ重視されている。
 私どもは市井に生きる人と共歓共苦(悲)し、人びとの安寧と幸福、そして無上道を求め続ける菩薩であることを忘失してはならない。
 それが釈尊出世の本懐であり、宗祖立教開宗のご誓願ではあるまいか。
(論説委員・村井惇匡)

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2021年4月10日号

法華経への恋慕心を繋ぐ

 私たちが日々拝読している妙法蓮華経(法華経)は、8巻28品からなっています。この経典は、中国の五胡十六国の時代、亀茲国出身の鳩摩羅什三蔵が後秦の姚興王の勅命を受けて、西暦406年に漢訳されたのであります。
 ところで、法華経の全28品の内容を解説するようにとの依頼を受け、およそ4箇年にわたり、あらためて拝読する機会を得ました。
 もちろん、日蓮聖人がどのように法華経を受けとめ、法華教学を樹立され、末法の凡夫が、大恩教主釈尊の救いにあずかることができるのか、という課題が、私の一貫した問題であります。しかし、聖人が法華経解釈の基本とされているのは、陳・隋の時代に活躍された天台大師智顗(538~597)の講述された『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の三大部ですから、これらを離れて、聖人の教学は成立しないのです。
 そのことから、日蓮聖人のご遺文を中心に据え、三大部を参照しながら、法華経拝読の過程において気づかされたことを、紹介させていただきたいと思うのです。
 ご承知のように、法華経は、序品第1にはじまり、普賢菩薩勧発品第28で終りを迎えます。序品は、法華経が説きはじめられる糸口で、天台大師は、他の経典にも見られるように、釈尊がいつ、どこで、だれを対象に、教えを説かれているのか、ということが示される「通序」の部分と、法華経にだけ示される「別序」の部分が説き示されている、と解釈されています。
 最終章である普賢菩薩勧発品では、法華経が説かれている、娑婆世界のインドのマガダ国の霊鷲山の釈尊のもとに、東方世界の宝威徳上王仏国から、普賢菩薩がはかり知れないすぐれた大菩薩方とともに到来され、そして、釈尊に対して、「どうか、私たちのために法華経の教えを説いてください」と、要請されるのです。そこで、釈尊はふたたび「四法」を示されることによって、法華経を再演(ふたたびのべる)されることになります。
 このように、普賢菩薩が釈尊に対して、尊い法華経の教えを説き示されるように、と要請されていることから、「勧発品」と名づけられているのです。
 そのことを天台大師は、『法華文句』巻第10下に、「勧発とは、法を恋うの辞なり」(『大正蔵経』第34巻148頁a)と解釈されています。つまり、法華経の最終章は、普賢菩薩が、釈尊の説き示される法華経に対して、限りない情愛と、尊い思いを抱かれていることから、釈尊に対して法華経の再説を要請されている、という解釈がなされているのです。そして、普賢菩薩は、法華経に対する恋慕心によって、滅後の法華経の行者を守護することを誓われ、また法華経の広宣流布を誓われ、さらに法華経の行者に対しても、悪鬼などの障害に対して、咒文によって、排除することの誓願がなされているのです。
 もちろん、日蓮聖人の教えは、久遠の釈尊(本仏)が、久遠の本法(要法・題目)を、久遠の弟子(本化地涌の菩薩)に手渡されることを闡明化されました。東方の普賢菩薩が、かぎりない法華経に対する「恋慕心」をもととして、勧発されているとすれば、末法の私たちは、久遠の仏、久遠の法、久遠の本化菩薩への渇仰・恋慕心をもととして、題目の教えが断絶することなく、末法の人びとの大灯明として、未来の人びとに手渡さねばならないのではないか、と思われてならないのです。
(論説委員・北川前肇)

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2021年4月1日号

「つながる」-東日本大震災から10年を迎えて-

 50歳を越した私に、お姉さんでなく「おねいさん」と呼んでくれる人と出会い、10年の時が流れた。東日本大震災から10年という節目の年に、「今回は、津波が来なかったから良かったよ。おねいさんも頑張って。またおいしい魚おくってやっから」と届いたショートメールに胸が痛かった。「こんなに良い人たちを、これ以上苦しめないで」という思いが積もる。
 2月13日深夜、マグニチュード7.3を観測した福島県沖地震後のやり取りである。ケガ人はいなかったが、すべての戸棚が倒れたと聞いた。当時の記憶が蘇って自然の驚異に愕然とし、再び恐怖を経験したことであろう。10年前の震災直後、東京教化伝道センター防災部の僧侶が中心となって現地に入り、犠牲者への慰霊、遺族・被災者への救済活動を行った。同年5月、宮城県女川町仮設住宅に私も同行した。ここで「おねいさん」と呼んで下さる人は、震災で避難してきたさまざまな家族たちとの新たなコミュニティーを明るく元気につなごうとしていた。「泣いてたって始まんないさー。生きてかなくちゃ。生きてるとお腹がすくだろ?」。被災者の皆さんにどう関って寄り添えるのかと気が先走り、緊張している私を察してなのか、大きなおにぎりを差し出してくれた。本来、他人を気遣う余裕などないはずなのに…、こみ上げる思いを「泣いてはいけない」と自分を戒めながら、おにぎりをほおばった。日本人の我慢強さとあたたかな情をここでたくさん見た。
 時代をさかのぼると関東大震災当時、ポール・クローデル駐日フランス大使は、救済活動を指揮しながら、被災地で配給の行列に並び自分の順番が来るのをじっと待ち続ける風景を見ながら、「決して粉砕されることのないようにと願う、1つの民族がある。それは、日本民族だ。(中略) 日本人は貧乏だが、しかし高貴だ。被災者たちを収容する巨大な野営地で暮らした数日間…私は、不平の声ひとつ耳にしなかった。唐突な動きや人を傷つける感情の爆発で、周りの人を煩わせたり迷惑をかけたりしてはならないのだ。同じ小舟に乗り合わせたように、人びとは皆じっと静かにしているようだった」「廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も「助けてくれ! こっちだ」というような差し迫った叫び声ではなかった。「どうぞ、どうぞ(お願いします)」という慎ましい懇願の声だったのである」とスピーチしたと記される。
 女川の復興は、海との共存と若い世代へつなぐというコンセプトで進んできた。「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。人びとは負けずに待ち続ける。新しい女川に住む喜びを感じるために」。当時小学校5年生が残した言葉に、強い意志と引き継がれている日本人の魂を感じる。今日に至るまでの苦悩と困難を、希望を忘れず実動し乗り越えてきた人びとを忘れてはいけない。あの頃、復興のために「誰かの役に立ちたい」という全国各地の人の意識が変化したことも。コロナ禍で、人との関わりに制限が強いられ感染リスク、ワクチン供給順位など(もちろん大切な協議であるが)思考が内向し、自分本位になってはいないだろうか? 「最近はさあ、かまぼこ工場にベトナムの若いおねえいさんたちが来て、その子たちのお世話がたのしいのさ…」。女川の水産加工業に携わる技術実習生の多くが、ベトナムから来ているという。彼女たちの話を大笑いしながら電話で話してくれた言葉。この思いを保ち続けることの意味が、まさに法華経を生きることだと思った。
(論説委員・早﨑淳晃)

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