ひとくち説法
2021年2月20日号
畜生すらかくのごとし
ノラあがりの同居猫の話をしよう。彼女は狩りが得意で、小動物を捕らえてはギョッとされるが、それ以上に驚くのは、その獲物を決まってお内仏(仏壇)前に「供える」行為に対してだ。
彼女はそこで、寺族の勤行唱題する姿を見ている。単に褒めてもらいたい心理なのか真相は不明だが、何か特別の思いを汲み取りたくもなる。
同列に語れないことを承知の上で。私はアイヌのイヨマンテを想起してしまう。熊送りと称されるそれは、殺した熊を、感謝と祈りの中で神へ送る崇高な儀式だ。大地自然と一体となったアイヌに受け継がれる精神性を端的に示すものだ。
妙法に照らされた世界も本来、そうだったのではないか。あるいは、今日この世界の病を治癒する何かも、そこの見い出せるのではないか。
話が少々大きくなった。彼女は自由を満喫しているに過ぎない。が、「いわんや人倫」が病む今、畜生の野趣から学びたい思いも抑え難い。
(宮城県布教師会長・梅森寛誠)
畜生すらかくのごとし
ノラあがりの同居猫の話をしよう。彼女は狩りが得意で、小動物を捕らえてはギョッとされるが、それ以上に驚くのは、その獲物を決まってお内仏(仏壇)前に「供える」行為に対してだ。
彼女はそこで、寺族の勤行唱題する姿を見ている。単に褒めてもらいたい心理なのか真相は不明だが、何か特別の思いを汲み取りたくもなる。
同列に語れないことを承知の上で。私はアイヌのイヨマンテを想起してしまう。熊送りと称されるそれは、殺した熊を、感謝と祈りの中で神へ送る崇高な儀式だ。大地自然と一体となったアイヌに受け継がれる精神性を端的に示すものだ。
妙法に照らされた世界も本来、そうだったのではないか。あるいは、今日この世界の病を治癒する何かも、そこの見い出せるのではないか。
話が少々大きくなった。彼女は自由を満喫しているに過ぎない。が、「いわんや人倫」が病む今、畜生の野趣から学びたい思いも抑え難い。
(宮城県布教師会長・梅森寛誠)
2021年2月1日号
あたりまえにありがとう
新型コロナウイルスが蔓延して1年。良いところが1つもないと言われるこの疫病ですが、日蓮聖人は「逆境は先生である。こんな時こそ多くのことを学び、気付かせてくれる」とお遺しです。当たり前のように思える日常の何気ないやりとり。この「普通に生きている」ことがいかに有り難いことか改めて気付かされた1年でもありました。
先日、小学生のある作文に出会いました。
~『あたりまえにありがとう』 食べられること、眠れること、学校に行けること、友だちと遊ぶこと、家族で話せること、大人が仕事をすること、健康で安心なこと、それはあたり前だった、それが幸せに変わった~
まさにそう思えるその心こそ「生きる意味」においてとても大切なことだと気付かせてくれました。あたりまえが、どれだけありがたいことか。いつも心に留めて、今こそ、ひとつ心にお題目を唱え、この疫病難を皆で乗り越えて参りましょう。(宮鹿沖布教師会長・吉田憲由)