論説

2020年10月20日号

龍口・佐渡の宗教的事実を訪ねる

 日蓮聖人(1222~82)が50歳の文永8年(1271)年9月12日、鎌倉幕府の逮捕によって、2度目の流罪に処せられたのが、750年前のことです。
 聖人を逮捕した武士たちは、地頭の本間氏の館へ向かう途中、「龍の口」の刑場で聖人の生命を奪おうとしたのです。これを「龍口法難」と称します。
 この聖人が生命を捧げて法華経に生きられた大慈悲に報いるため、今年、龍口法難750年のご正当にあたり、大法要を厳修されたことが、すでに「日蓮宗新聞」において大きく報じられました。
 虎口を脱せられた聖人は、佐渡国の地頭である依智(神奈川県厚木市)の本間六郎左衛門重連の館にしばらく滞在し、10月10日佐渡へと出発され、越後の寺泊の港から佐渡へ渡航されたのです。
 文永8年の10月下旬に佐渡へ到着された聖人は、流罪が赦免される文永11年(1274)3月まで、数えの4ヵ年にわたり厳しい自然環境の佐渡で、流人生活を送られることになります。
 ところで、聖人にとっては、幕府から処罰である、40歳の伊豆流罪、そして50歳の佐渡流罪は、2度にわたる厳しい処断でありました。が、今日、日蓮聖人の教えに信順する私たちには、聖人が佐渡において『開目抄』そして、『観心本尊抄』という二大著作を執筆され、今日の私どもに届けられていることに思いをいたしますと、感謝しないではいられないのです。
 日蓮聖人は、龍口法難のことを、『開目抄』において
「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑(午前1時ころ)の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返年(翌年文永9年)の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば」
と記されていますから、聖人9月12日の真夜中に頸を切られて、1度は死んだのである、というご自覚にたたれていることが知られます。法華経の教えによってよみがえられた聖人は、佐渡の塚原三昧堂において、門下への「かたみ」として『開目抄』を執筆されるのです。
 日蓮聖人の2度にわたる流罪の受け止め方は、法華経の勧持品の20行の偈文に「数数見擯出」(しばしば修行の場所から追放される)という釈尊の予言を実証したとの法悦のもと、ご自身が末法の「法華経の行者」であることを示してくださっているのです。
 聖人は『開目抄』執筆の翌文永10年(1273)4月25日、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(略称『観心本尊抄』)という最も大切な信仰のあり方を説き示されます。
 すなわち、聖人の「法華経の行者」という強いご自覚は、従地涌出品第15に登場される地涌の菩薩として、久遠の釈尊から手渡された(付嘱をうけた)一大秘法の「南無妙法蓮華経」を末法の人びとに与えるために遣わされた菩薩である、との自覚を意味します。つまり、末法という「正しい教えが喪失した時代」(白法隠没)に、大白法であるお題目を人々に伝える使命を、久遠の釈尊から与えられ、さらに法華経の如来神力品において地涌の菩薩が、釈尊より「結要付嘱」されたことの勅命に応えるべく、末法の世に誕生されたのです。
 このように、750年前の日蓮聖人の龍口法難・佐渡流罪の宗教的事実をたずねますと、あらためて、明年800年を迎える日蓮聖人のご誕生の信仰的意義が、明らかです。
(論説委員・北川前肇)

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2020年10月10日号

難から学ぶこと

 2001年9月11日、ニューヨークでアメリカ同時多発テロ事件が起きた。それから毎年この悲劇の日を風化させたくないと思い、朝礼で朗読している詩がある。追悼式で10歳の子どもを亡くした母親が朗読した『最後だとわかっていたなら』という詩である。 
 あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはもっとちゃんとカバーをかけて、神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう。(中略)若い人にも、年老いた人にも明日は誰にも約束されていないのだということを。(中略)だから、今日あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。そして、その人を愛していることをいつでもいつまでも大切な存在だということをそっと伝えよう。「ごめんね」や「許して」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう。そうすれば、もし明日が来ないとしてもあなたは今日を後悔しないだろうから。
 大変な困難を経験し、切ない親心が伝わってくる。特に今年は大きくさまざまな概念が変わり、当たり前が当たり前でなくなった。WHO事務局長テドロス氏は、新型コロナウイルスの世界的大流行を「100年に1度の公衆衛生危機であり、今後何十年にもわたり影響を及ぼす」と語っている。医療、経済、社会が混とんとした中、教育、文化、環境という情緒的な分野もさまざまな課題を抱えている。幼稚園の園長でもある私は、緊急事態宣言が解除され6月から園を再開した。どうやってソーシャルディスタンスを取り、感染防止策を施したらいいのかなどの矛盾に折り合いをつけながらクラスの子どもたちを半分にして分散保育を始めた。
 課題は山積されているが、子どもたち、教師たちに笑顔が戻ってきたことが嬉しい。その笑顔の背景には、多くの保護者の意識の変化があるように思える。世界的な新型コロナウイルス感染拡大という事態を引き受け、自分で今できることを考えてくれているという保護者への信頼感。毎日報道される様々な事態を、世界が示されている試練と考えれば、これを人間社会というコミュニティーがどう対処するのか? そこにいる人びとの人間力が示されるのではないだろうか。 
 4月から強いられた閉鎖的な生活の中で、弱者である子どもたちにとって幸せとは何かを、それぞれの親が考えた時間がある。①子どもにとって、子どもたちの社会の存在に価値を持つ。「幼稚園が始まってくれて本当にありがとうございました。子どもがいきいきしました。嬉しいです」、②その社会が健全に機能するためには、自分たちのモラルや秩序を保とうとする姿。「うちの子、熱は下がりましたが、他のお子さんにご迷惑が掛からないように大事をとって今日はお休みをさせます」、③そのコミュニティーの一員で役に立ちたいという姿勢。「先生たちも、保育だけでなく消毒などで大変ですね。何かお役に立てることがあったら言ってください。お手伝いしますから」
 近年の子育てを保護者へのサービスという概念に変えた国の施策が施行されてから、このような言葉や態度は減少していった。今この困難をみんなで分かち合い、見失ったこと、風化してしまった記憶と共に再構築していく働きかけが必要である。『最後だとわかっていたら』という詩に託された人間が想像する力をもって他者を思い、他者に寄り添い、今自分にすべきことを悟っていくことができるコミュニティーの質に拘ろう。お寺というコミュニティーと重ねながらそう考える。
(論説委員・早﨑淳晃)

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2020年10月1日号

1人でも多くの子どもに食事を

 今年の1月、71歳にして初めてインフルエンザに罹った。主治医の的確な処方によってわずか3日で快復できたのだが、日本だからそれで済んだのであって、発展途上国ではワクチンも治療薬も手に入らない人たちが数多くいて、世界の統計では毎年30万人から60万人がインフルエンザで亡くなっているというから恐ろしい病気なのだ。
 他にもさまざまな病気で多くの人たちが命を落としている。中でもどうしてこんなことでと、耳を疑う死因が「脱水症」だ。人間の身体の大部分は水分だそうで、幼い幼児では体重の70㌫にもなるという。その体内から水分が失われると命にかかわる。脱水症は主に下痢で起こる。不衛生な生活が原因だ。ユニセフによれば毎年3百万人もの人たちが脱水症で亡くなっているという。
 新型コロナの感染数や死者の数では大騒ぎするが、永年にわたり発展途上世界で命を落としている子どもたちのことは誰も気にしない。下痢による脱水死は感染もしないし、身の回りに頻繁に起きるわけでもないから「自分には関係ない」と思っているのだろう。しかし、一般社会がそうでも、信仰を持つ人たちがそれで良いのだろうか。
 この脱水死から子どもたちを守る経口補水塩(ORS)の製造と配布活動を1982年からバングラデシュとラオスで続けた。1㍑のぬるま湯に溶かせて飲む塩と砂糖にカリウムなどを加えた小袋は、現地で製造すれば10円程度でできた。日本全国の寺院や檀信徒からいただいた会費や寄付金でその後9年間、毎年5百万円ずつ使わせていただいたのだから、何万人もの子どもたちの命を実際に救ってきたことになる。それで救われた多くの人たちはORSが日本の仏教徒から届けられたとは知らないが、彼らの感謝の気持ちは協力してくれた人たちに大きな功徳となって返ってきているに違いない。
 それにしても3百万人もの死者が毎年出ている事実をどうしてマスコミは報じないのだろう。バングラデシュで活動していたとき、同国南部にあるチッタゴン州をサイクロンが襲い、10万人の犠牲者が出たと日本の新聞が伝えた。帰国中だったので慌てて現地に向かうと、迎えに来た人たちが大笑いして言った。「サイクロンは毎月上陸していて、その都度およそ5千人が犠牲になっているんだ。10万人になったから来たのか」
 5千人と言えば阪神淡路大震災の犠牲者数にも匹敵するが、日本では報道されていない。どんなに悲惨なことが起きても、発展途上国のことや目新らしくない事は取材も報道もしないという姿勢が八正道を歩むべき私たちから「正見」を奪っている。
 コロナ禍で忘れ去られているが、国内でも16㌫の家庭で月の所得が10万円程度の生活を強いられているという。そのしわ寄せは子どもたちに来ている。学校でいただく給食だけがまともな食事だという子どもたちも多いのだが、その給食費も、貧しい人たちにとっては大きな負担だ。義務教育でありながら、貧しい人たちから給食費を取るというシステムも理解できない。
 「子どもたちの未来のために」を活動テーマとしているBACは、海外での活動停止に伴い、4百万円を静岡県母子寡婦福祉連合会に寄付をした。1人でも多くの子どもたちに満腹になるほどの食事を摂ってほしい。
 三千世界は観念の世界ではない。生きている人たちのものなのだ。誰もが幸せに生きられる世の中にするために、祈るだけでなく、行動しよう。
(論説委員・伊藤佳通)

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新年のご挨拶。

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