論説

2020年9月20日号

コロナ禍の渦中で み仏の教えの原点を考える

 本紙7月1日号で渡邊寶陽師は「龍口法難・佐渡法難750年」に寄せて次のように記している。
 「人間社会は、高度な科学や文化によって発展してきた。それによって幸福がもたらされると思いこんでいるのが現代に生きる我々である。だが、今や、新型コロナウイルスによって、科学文明は試されている。文明の発展は大切であるが、なによりも「こころ」を磨いていくことが肝要である。そうした試練に直面している現代であればこそ、あらためて『龍口法難』『佐渡法難』750年の記念年を迎えて、日蓮聖人の宗教世界に深いまなざしを向けることが大切である」と。
 それでは「日蓮聖人の宗教世界に深いまなざしを向け」、なによりも肝要である「心を磨いていく」ことをコロナ禍で混乱している社会の中で実践していくためにはどのようにすればいいのか、考えてみたい。
 第1に「モノが多ければいいことだ」という物質的な豊かさへの内省が求められるのではないか。自動車、スマホ、パソコンなど便利な機器に囲まれた生活が日常化している。コロナ禍で外出が制限される中で、インターネットを介した会議が行われ、私も便利に活用した1人であるが、便利に活用しつつもそれに振り回されない抑制的な意思も一方では必要である。「少欲知足」の再考が問われている。
 第2に「人が多ければいい」という価値観の見直しが求められる。人が多いがゆえに正しいとは限らない。人が多いがゆえに衆愚と化し、ポピュリズムの弊害を生む危険性を見通す慧眼が求められる。大都市中心思考の見直しにも通じる。
 第3に「お金が多ければいい」という価値観の見直し、経済中心思考からの脱却が求められる。生活基盤としての経済は必要不可欠であるが、人はお金に目がくらみがちなものである。
 第4に「新しいことはいいことだ」という価値観の見直しが求められる。普遍的な価値を守るためには不断に旧弊を払い続けなければならないが、新しいものが常に正しいとは限らない。古いものについた埃や垢を拭い磨くことで新しい価値を再発見できることがあることを忘れてはならない。
 第5に「多面性を尊重する中に普遍性を見る」という価値観への回帰が求められる。群盲索象のたとえは、偏りがちな私たちの視点の置き方への反省を促す。物事をとらえる尺度として一念三千を基本とする習慣を身に着けることが求められる。
 第6に「本当の幸せとは何か」を問い直すこと。明年ご正当を迎える宗祖降誕800年を目途とした宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」は、「我々の究極の目的は、自らが仏に成ること、すべての人々を仏に導き、み仏の安らかな世界を今ここに実現すること」を基本理念としている。一般的な幸せとは次元の異なる「本当の幸せ」を求める視点が大切である。
 第7に「真に人のためになることは何か」を問い直すこと。「人のためになること」は、先に上げた「本当の幸せ」につながるものであることを見据えたものでなければならない。菩薩の行い、布施の行いになるものをめざすことが求められる。
 第8に「人間がよければいい」とする人間中心主義から脱却し、「草木国土悉皆成仏」への回帰が求められる。近年多発している自然災害で悲鳴を上げているのは人間だけではない。動物も植物も、大地自然すべてが涙を流しているとの思いを抱き、それらすべての成仏への祈りが求められている。
 地球規模の人類の危機といっても過言ではないコロナ禍の渦中で、み仏の教えの原点に返ること、日蓮聖人の教えの原点を再確認することが求められている。
(論説委員・柴田寛彦)

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2020年9月10日号

国家には国民の生命を守る責務

 平成23年3月11日の東日本大震災は、大自然の猛威を私たちに見せつけた。M9の巨大地震が、東北地方をはじめ東日本全域に大きな被害をもたらした。加えて原子力発電の安全神話は脆くも崩れ、原発の周辺地域は人の住めない「亡所」とも言われた。
 さて、日本一高く美しく、日本の象徴の富士山の神は、木花咲耶姫という女神である。桜の花が爛漫と咲き誇る姿を想い浮かべる優雅な名前だが、この女神しばしば柳眉を逆立てる。
 今から約3百年前、宝永4年(1707)10月4日、東海から紀伊半島・四国にかけてM8.4の巨大地震が発生した。大津波は太平洋沿岸を襲い、多大な爪痕を残した。「宝永地震」である。この地震に誘発されて49日目の11月23日午前10時、木花咲耶姫が柳眉を逆立てた。この時の女神の怒りは凄まじいの一言。直接の死者こそ出なかったものの、12月9日までの17日間にわたる大噴火であった。10億万立方㍍の山体を吹き飛ばし、瘤のような宝永山を造った。
 葛飾北斎は富嶽百景「宝永山出現」で、押しつぶされた家、逃げ惑う人びと、材木の下敷きになた馬、桶や瓶などとともに人も宙に舞っている富士宝永噴火の迫力と惨状を描いている。百㌔離れた江戸でも噴煙に覆われ、昼でも行灯を手放せなかったという。殊に深刻だったのが富士山麓の小田原藩領駿河国駿東郡59ヵ村(御廚と呼ばれ、現在の静岡県御殿場市・裾野市・小山町)は3㍍もの大量の火山灰が積りに積った。――読者諸兄! 3㍍もの火山灰が積った状態が想像できますか? 田畑はもとより、山林河川を問わず、あらゆる地表に㍍の火山灰が積るのを―― こうした被災地の農民たちは小田原藩に直訴するが、藩は当面の救済として「お救米」を出すのみで、救済復興のビジョンはなかった。農民たちは餓死寸前という深刻な局面に立たされた。挙げ句の果て、小田原藩と幕府は駿河駿東の59ヵ村を「亡所」と決定した。宝永5年2月11日、宝永噴火の終息からわずか55日。余りといえば余りの仕打ちである。
 「亡所」とは、田畑や森林・草原も何1つとして収益のない土地、つまり納税の対象とならない土地のことである。納税もないから人民に対する保護もない。「亡所」とはそこに住んでいる住民を棄てること、「棄民」のことである。
 しかし、村が完全な「亡所」にならなかったのは、御廚地域住民の郷土愛(神領としてのプライド)、復興を諦めない根性・意欲・結束力と行動力。そして、関東郡代の伊奈忠順(?~1712)という「変化の人」の存在があろう。忠順は「亡所」として辛酸をなめる農民を、酒匂川の改修土木工事の人足として雇い、生活の安定を計り、農地の土壌改良にも力を注いだ。忠順は見て見ぬふりのできぬ人で、駿府の幕府米蔵から独断で米1万3千石を飢民に与えた。のちのち神格化され祀られるが、この行為によって失脚する。伊奈忠順のことは、新田次郎の『怒る富士』(文春文庫)に詳しい。一読をおすすめする。
 翻って、世はコロナ、コロナである。「医療崩壊」・「命の選別」の文字が紙面画面に躍る。医療崩壊の延長線に「命の選別」がある。平時ならともかく、非常の時は本人の意志より前面に出るのが「命の選別」である。「命の選別」は「亡所」(棄民)を意味する。容認する訳にはいかない。国家は総力を挙げてコロナ戦争に勝利せねばならない。国家は国民の生命と財産を守る責務がある。「いのちに合掌」は尊い。
(論説委員・中條暁秀)

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2020年9月1日号

もういいコロナ

 大東亜戦争の敗戦から75年の夏が過ぎます。コロナ禍の中、豪雨・猛暑の天候異変、原爆記念日、盂蘭盆など大きな変革を余儀なくされた夏でした。中でも私にとって最も大きな衝撃は、先月4日の北九州市・眞浄寺中村潤一上人の早すぎる遷化でした。上人はオピニオンリーダーとして多方面に渡り発言、寄稿し、日本ペンクラブにも所属したすばらしい執筆家でした。解り易さと面白さを信条とした軽妙な文章と、精力的な活動は多くの読者やファンを集めていました。
 上人は「昭和20年8月9日小倉の天気が良かったら俺はここにはいない」とよく言っていました。それは原爆投下の目標が曇天のため小倉から長崎に変更されたからです。その75年後の原爆の日を目前に亡くなったのです。この論説も上人の予定でしたが、6月末、手術のための入院の折、本紙を含め全ての連載を断ったそうです。少し延期でいいのではという周囲の声も聞かず、生きがいの原稿書きの筆を折ったのですから、よほどの不調と覚悟があったのでしょう。入院前後の頃は闘病の経過や「面会できんぞ、コロナのせいで」と元気な声の電話がきていましたが、しばらく途絶えていた8月1日「もうキツイ、そろそろいいバイ」といつもと違う、か細い声で電話がかかりました。私はその声の力の無さと気弱なことばに愕然とし、「まだまだ早か、カラ元気を出してでも連載途中の原稿を完成させんば死なれんバイ」と励ましながらも不安がよぎりました。いつもは自分の用件だけを言ってすぐに切るくせに、何だか名残惜しそうに電話が終わったのです。何か気になり、その夜の内に三十番神の絵はがきに「病気と仲良くしながら、これから書きたいことの構想をじっくり練ること、番神さまのご利益倍増疑いなし」と書いて投函しました。その2日後に訃報が届いたのです。ハガキは読んでくれたのだろうかと思いながら駆けつけましたが、残念ながら病床までは到らず、読まれることなく棺に納められました。上人の遺言で、通夜の導師と挨拶をしましたが、3密を避けなければならない法要に檀信徒の皆さんがぎっしり詰めかけ、一心にお経とお題目を唱和し、別れを惜しみました。翌日の密葬、出棺と大勢の皆さんの「潤ちゃんさよなら、ありがとう」と、太鼓を打ち鳴らしての心のこもったお見送りは、すすり泣きの中での感動的な惜別でした。
 上人は宗門の役職、幾多の連載の執筆、テレホン説教、講演や保護司、教誨師の社会奉仕など、当に多忙を極める中に、まずお寺と檀信徒を本分として、教化伝道に邁進していました。持ち前の押しの強さと優しさで、しっかりと人びとの心をつかんでいたのです。その絆の強さがこの涙の別れになったのでしょう。正しく坊さん冥利に尽きるというものでしょう。格好には拘らず、こよなく酒と駄洒落を愛し、居酒屋では口角泡を飛ばして喋り捲る好々爺でした。とてもこのコロナ禍の生活には耐えられなかったはずです。「俺はもうそろそろいいコロナ」と得意のオヤジギャグでみんなを煙に巻きながら享年78歳で逝ってしまいました。
 この眞浄寺山門前の石碑には日蓮聖人の『報恩抄』の「花は根にかえり 真味は土にとどまる」の一節が刻まれています。中村上人の根っ子には眞浄寺があり、ここが俺の霊山であり、久遠の修行の道場だと言わんばかりです。コロナ後の世界はどうなるのか、疫病だけでなく、災害や戦争も目前にあり、私たちはどう生きればいいのか試される秋が来ます。中村潤一上人の生きざまは良き手本になるに違いありません。共に霊山往詣を祈りましょう。合掌
(論説委員・岩永泰賢)

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新年のご挨拶。

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