2020年9月10日
国家には国民の生命を守る責務
平成23年3月11日の東日本大震災は、大自然の猛威を私たちに見せつけた。M9の巨大地震が、東北地方をはじめ東日本全域に大きな被害をもたらした。加えて原子力発電の安全神話は脆くも崩れ、原発の周辺地域は人の住めない「亡所」とも言われた。
さて、日本一高く美しく、日本の象徴の富士山の神は、木花咲耶姫という女神である。桜の花が爛漫と咲き誇る姿を想い浮かべる優雅な名前だが、この女神しばしば柳眉を逆立てる。
今から約3百年前、宝永4年(1707)10月4日、東海から紀伊半島・四国にかけてM8.4の巨大地震が発生した。大津波は太平洋沿岸を襲い、多大な爪痕を残した。「宝永地震」である。この地震に誘発されて49日目の11月23日午前10時、木花咲耶姫が柳眉を逆立てた。この時の女神の怒りは凄まじいの一言。直接の死者こそ出なかったものの、12月9日までの17日間にわたる大噴火であった。10億万立方㍍の山体を吹き飛ばし、瘤のような宝永山を造った。
葛飾北斎は富嶽百景「宝永山出現」で、押しつぶされた家、逃げ惑う人びと、材木の下敷きになた馬、桶や瓶などとともに人も宙に舞っている富士宝永噴火の迫力と惨状を描いている。百㌔離れた江戸でも噴煙に覆われ、昼でも行灯を手放せなかったという。殊に深刻だったのが富士山麓の小田原藩領駿河国駿東郡59ヵ村(御廚と呼ばれ、現在の静岡県御殿場市・裾野市・小山町)は3㍍もの大量の火山灰が積りに積った。――読者諸兄! 3㍍もの火山灰が積った状態が想像できますか? 田畑はもとより、山林河川を問わず、あらゆる地表に㍍の火山灰が積るのを―― こうした被災地の農民たちは小田原藩に直訴するが、藩は当面の救済として「お救米」を出すのみで、救済復興のビジョンはなかった。農民たちは餓死寸前という深刻な局面に立たされた。挙げ句の果て、小田原藩と幕府は駿河駿東の59ヵ村を「亡所」と決定した。宝永5年2月11日、宝永噴火の終息からわずか55日。余りといえば余りの仕打ちである。
「亡所」とは、田畑や森林・草原も何1つとして収益のない土地、つまり納税の対象とならない土地のことである。納税もないから人民に対する保護もない。「亡所」とはそこに住んでいる住民を棄てること、「棄民」のことである。
しかし、村が完全な「亡所」にならなかったのは、御廚地域住民の郷土愛(神領としてのプライド)、復興を諦めない根性・意欲・結束力と行動力。そして、関東郡代の伊奈忠順(?~1712)という「変化の人」の存在があろう。忠順は「亡所」として辛酸をなめる農民を、酒匂川の改修土木工事の人足として雇い、生活の安定を計り、農地の土壌改良にも力を注いだ。忠順は見て見ぬふりのできぬ人で、駿府の幕府米蔵から独断で米1万3千石を飢民に与えた。のちのち神格化され祀られるが、この行為によって失脚する。伊奈忠順のことは、新田次郎の『怒る富士』(文春文庫)に詳しい。一読をおすすめする。
翻って、世はコロナ、コロナである。「医療崩壊」・「命の選別」の文字が紙面画面に躍る。医療崩壊の延長線に「命の選別」がある。平時ならともかく、非常の時は本人の意志より前面に出るのが「命の選別」である。「命の選別」は「亡所」(棄民)を意味する。容認する訳にはいかない。国家は総力を挙げてコロナ戦争に勝利せねばならない。国家は国民の生命と財産を守る責務がある。「いのちに合掌」は尊い。
(論説委員・中條暁秀)