論説

2020年2月20日号

子どもは白銀にも敵わぬ宝

 先日、乳のみ子をともなって、知人の参詣がありました。両親に抱かれた乳児は、安らかな顔立ちで、静かに寝息をたてていました。その安らかな眠りは、両親にすべてをまかせているという無条件の信頼であり、また両親の大きな愛情のたまものであると実感させられたのです。
 ところで、奈良時代に遣唐使の録事(文書官)として入唐し、のちに大宰府の長官(大宰帥)であった大伴旅人(665~731)に、筑前守として仕えた山上憶良(660頃~733頃)は、豊かな学識を有し、仏教の素養をもった、『万葉集』の歌人であります。『万葉集』第五巻をひもときますと、「山上臣憶良の、子等を思ひし歌一首 序を并せたり」と、子どもらを詠った序と長歌と短歌(五句)とが収められています。その有名な歌は、つぎのとおりです。
「銀も金も玉も何せむに
  優れる宝子にしかめやも」
(新日本古典文学大系・『万葉集』(一)、453ページ)
 今日的表現をいたしますと、シルバー(白銀)や黄金(ゴールド)やジュエリー(宝石)なども、素晴らしい宝である子どもにおよぶことはない、と言い切るのです。
 今日から、およそ1300年も前に、子どもたちは、私たちの至宝である、と断言するのは、驚きであるとともに、人生の真理である、と思うのです。
 ところで、この短歌の解説に目を移してみますと、『過去現在因果経』巻第三を出典として、釈尊が太子であったころ、シャカ族の王宮であるカピラ城を去って、出家し、沙門となって難行苦行に専心されているさまを、父の浄飯王が大臣たちに語ったことばが引用されます。その経典では、父はつぎのように語っています。
 「太子は、ついに転輪聖王の位、さらに父母親族の人の恩愛の楽しみを捨てて、遠くの深山に在って、さまざまな苦行を修せられている。私は、今世において福徳が薄く、この最上の宝である子(ゴータマ、悉達太子)を失ってしまった」(『大正蔵経』第三巻639頁a)
 すなわち、シャカ族の王子として誕生されたお釈迦さまが、ヤショーダラ妃をめとり、一子ラーフラをさずかりながらも、王位を継承することなく、さとりへの道を選択されていることに、父の浄飯大王は「最上の宝を失えり」と言うのです。
 このように、短歌の根底には仏教経典の教えがうかがえるのですが、山上憶良は、「子等を思ひし歌一首」の「序」に、つぎのように記しています。
 「釈迦如来は、金色の口で、まさしく等しく人々のことをみな平等に思われることは、わが子ラーフラ(羅●羅)と同じように思う、と説かれている。また、わが子への愛にまさるものはない、ともお説きになられている。大聖人であるみ仏にも、子を愛するお心がおありになったのである。まして、世の中に生きる私たちが、わが子を愛する気持ちをもたない人があるだろうか」(前掲書・『万葉集』・451~2ページ)
 この一節からも、山上憶良は、仏教の教えに基づきながら、私たちの心情をしっかりと見据えていることが知られます。
 今日、ややもすれば私たちにとって大切な宝物である子どもたちが疎略にされ、悲しむべき境遇にあることが報じられています。私たちはいま猛省しなければ、私たちに未来はないことを認識すべきである、と思うのです。
(論説委員・北川前肇)

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2020年2月10日号

「いま 幸せかい?」と聞いてくれる世間に

 令和2年を迎え、今年は特別感慨深い正月を過ごした。一昨年の夏に、「男はつらいよ」シリーズの新作が22年という時を超えて制作されるという発表から、東京・柴又は久しぶりに映画「男はつらいよ」の撮影で湧いた。そして記念すべき第50作として年末から「男はつらいよ お帰り寅さん」と題し、全国で上映された。
 かつては、「お盆と正月は寅さん」というのが風物詩だった映画界。しかし、月日が流れ、今では初めてこのタイトルを耳にする人もいるであろう。「男はつらいよ」は、〝1人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ〟として、ギネスブックに認定される。山田洋二さん原作、監督による日本を代表する喜劇映画である。故渥美清さん演じる主人公「寅さん」の口上は、「わたくし、生まれも育ちも(東京)葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで〝フーテンの寅〟 と発します」というのがお決まりのフレーズである。私が生まれ育った葛飾柴又の駅や参道、帝釈天(日蓮宗題経寺)境内には、その原風景に触れたいと、全国からたくさんの人たちが足を運んでいた。
 なぜこんなに寅さんが、日本人の心を揺さぶるのであろうか? 映画の中で寅さんのセリフや行動から、現代人の今とこれからを探りたい。
 寅さんは、腹巻に雪駄を履き鞄1つで全国に露天商をしながら旅に出て、さまざまな出来事やハプニングを通してそこで出会った人たちとの親交を深め「いま幸せかい?」と尋ねる。ストーリー終盤の別れ際には、「もし何かあったら、いつでも葛飾柴又のとらやへ訪ねて行きな。悪いようにはしねえからな」と言葉を掛ける。そんな寅さんの持つあたたかな人情を感じ、人はその世界に引き込まれていくのだと思う。
 現代社会は、少子化が進み人口減少の問題が挙げられるなか、一層格差社会と人間関係の希薄化がクローズアップされている。諸問題の原因として私は、人に関心を寄せる、人の気持ちを察するという他者の存在への感受性が、鈍っているのではないかと思っている。人は1人では生きていけないということを、家庭や家族という営みの中で悟り、人の縁で生かされているということを、社会で悟ることができたら、世の中に何かしらの変化が生ずるのではないかと期待をする。
 市場原理主義の効率と成果を優先にする思想は、格差社会を生み、地域コミュニティの衰退を促す。具体的な事象としては「昼間に地域にいないことによるかかわりの希薄化」「コミュニティ活動のきっかけとなる子どもの減少」「住民の頻繁な入れ替わりによる地域への愛着・帰属意識の低下」などが挙げられている。
 仏教には機縁という言葉がある。機とは仏の教えを受けて悟るもの。一般的には衆生のことを言い、その資質や能力を示すこともある。機が備わり、仏の教えを受ける縁があって成立するとしている。日蓮聖人は、末法の時代には衆生(機)が未成熟になるので、より一層努力して法華経を弘めなくては(縁)ならないと示された。
 「いま幸せかい?」「何かあったらいつでも訪ねて行きな」寅さんが出会う人びとに掛けてきたこの言葉は、地域、衆生の救済拠点としてある寺にいる私たち僧侶が、衆生に掛けていくべき言葉なのではないだろうか。利他の世界を映しだす「男はつらいよ」に現代の機縁さえ感じる。
(論説委員・早崎淳晃)

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2020年2月1日号

生きている人のための仏教

 令和最初の正月も過ぎ、節分の準備を考える季節が来た。寺に、多くの参拝者があるわけではないが、日本人の歴史に深く根付いているから参拝者がおられる以上、それなりの準備も必要だ。今年も、報道番組を視ると神社仏閣に参拝する多くの善男善女が列を作っていた。誰もが幸福を祈るのに違いない。にもかかわらず天災や事件・事故・病気などで毎年多くの人達が亡くなっている。果たして、祈りだけでこれらから逃れる事ができるのかと疑問をお持ちの方もおられるのではないか。
 宗祖のご生涯は「事」(実践)で貫かれていたが、それは「理」(理論)が確立しておられたからだ。「理」なくして行動はないが「事」のない「理」は机上の空論に過ぎない。
 さて、今年の2月でインドシナでの活動が満40年となる。これだけ続けていると現地の変化が手に取るように見えてくるのだが、やはり仏教の衰退が著しいといわざるを得ない。イスラム化が止まらないのだ。以前にも書いた覚えがあるが、熱心な仏教徒が多かったタイでイスラム化が進むのは「仏教は何もしてくれない」(多くのタイ人の発言)からだ。
 ではタイの比丘達が何もしないでいるかといえばそんなことはない。にもかかわらずイスラム化が、貧しい人達から順に進んでいる。ここに上座部仏教故の限界が見える。彼らの戒律では防寒着などを身につけることは許されていない。だから今でも南方(インドシナから南アジア)にのみ拡がっているのだが、その南方には多くの発展途上国がある。いまだにランプの生活を続けている人も珍しくない。衣食住の苦労はもちろんのこと、怪我や病気の治療を受ける機会など皆無という人たちもいる。
 それでも彼らは寺と比丘を頼って生きてきたが、悟るまで法を説くことはできないという戒律で生きる比丘達の限界(世界の発展に対応できないこと)を知った。それがイスラム化の最大の要因だと言えよう。貧しいイスラム教徒は教団がその生活を守ってくれる。祈ることで命が救え、幸せになっていれば人々の心は動かなかっただろうが。
 その原因となった戒律の殆どを捨てて立ち上がった大乗仏教なら人助けは大得意となるはずだった。
 ところが、中国で儒教の影響から始まった先祖供養が主流の大乗仏教もまた、生きている人を救えなかった。日本ではイスラム化こそ進んでいないが、維持が苦しい寺が主に地方で続出している。これを、仏教全体のテーマとして捉えよう。
 釈尊がアーナンダに仰ったとされる「お前たちは修行完成者(=仏陀)の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ」(中村元訳『仏陀最後の旅』〈岩波文庫〉)に、教えが凝縮されている。 もう一度釈尊の仏教に立ち返る必要があろう。そこには、私たちが当然のように行なっていた行事や考え方を根底から覆すお言葉がちりばめられている。世の中は生きている人が創っている。生きている人達のための仏教に目覚めようではないか。人々が安心して生きられない社会を先祖が喜ぶだろうか。
(論説委員・伊藤佳通)

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