論説

2020年1月20日号

痛みがないことはいいことなのか

 私たちの住むこの社会は、できるだけ痛みを遠ざけようとしている社会である。
 身体的な痛みについては鎮痛薬が開発され、歯の痛み、関節の痛み、腰痛、頭痛、どのような痛みに対しても飲み薬や湿布、注射などでかなりの部分対応が可能になっている。手術や痛みを伴う検査も、麻酔薬などで痛みを感じることなく済ませることができる。無痛分娩も一般に普及している。がんによる痛みに対しても、副作用や薬剤依存への対策を考慮した上で、モルヒネなどの経口薬や貼り薬による対処法が進歩している。
 心の痛みに対しても、精神的な苦痛を和らげる薬剤が開発されたり、カウンセリングや精神療法などで対応する方法が進歩してきている。
 現代社会ではさらに一歩進めて、痛みが出てから対応するのではなく、痛みが出る前に痛みが出ないようにあらかじめ予防する技術が進んでいる。予防接種などがそれである。
 感染症にかかって苦しまないように予防する、がんや心臓病や脳卒中、糖尿病などの生活習慣病になって苦しまないように予防すると言えば、健康長寿は誰でも望むことであり、問題があると思う人はいないだろう。
 私自身も、自分の痛みはできるだけ取り除きたいし、苦しみを味わうことのない生活をしたい思う。周囲の人たちに対しても痛みや苦しみを取り除くべく努力を傾けている。
 それでは、痛みを経験することのない、物質的、精神的な苦しみのない、心も体も快適な社会が本当に私たちが願うべき社会なのだろうかと考えると、そこに留まっていてはいけないのではないかと思う。表層的な痛みや苦しみを取り除いて満足することでよしとしていたのでは真の幸福には程遠いのではないかと思うが、往々にして私たちはそこで満足しがちである。
 森岡正博氏は「苦しみを遠ざける仕組みが張り巡らされ、快に満ち溢れた」現代社会を「無痛社会」と名付け、その根底にある人間の欲望を見つめなおす必要があることを指摘している。
 「欲望から憂いが生じ、欲望から恐れが生じる。欲望を離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか」(ダンマパダ)
 痛みを取り除き、飢えを遠ざけ、できるならばおいしいものを食べ、寒さや暑さや災害でつらい思いをすることなく快適な生活をしたい。病気をすることなく、健康で長寿を満喫したい、といった欲望は、追及すると際限がないことを私たちはよく知っている。その欲望そのものに対する自省がないところに、真の幸福は訪れない。
 痛みや苦しみの内容には、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、霊的苦痛があると言われているが、身体的苦痛、精神的苦痛については前述のように対処法がずいぶん進歩してきたと言ってよいし、社会的苦痛に対してもさまざまな対処が可能であろう。しかし、最後の霊的苦痛の除去に至らなければ真の幸福は得られない。
 苦しみを経験し、その原因を探り、その原因に思い至ったならば、それを取り除く道を歩むことによって初めて苦しみを乗り越えることができる。その苦しみを乗り越える道こそが仏の教えであると釈尊は教えている。お題目こそがその道であると日蓮聖人は教えてくれている。
 表面的な痛みが取り除かれることで満足している社会に警鐘を鳴らすべき役割を私たちは担っているのだという自覚が問われている。決して「痛みがないことはいいこと」ではない。
(論説委員・柴田寛彦)

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2020年1月10日号

幾多の法難の末に

 新年早々、私事で恐縮、恐縮。一昨秋の11月27日から昨春の2月23日まで、自分のお腹の常在菌「腸球菌」が、入ってはならない椎間板の中に入ってしまい、「化膿性椎間板炎」という病気を得、主治医の「3ヵ月は見てください」との言のごとく、90日間の闘病生活を余儀なくし、つくづく健康のありがたさ、大切さを痛感しての昨年の迎春であった。治療は「ベッド上安静」と、「抗生剤」の点滴投与であった。ところがである。3週間を過ぎた頃であろうか、下肢全体に発疹が表れ一騒動。薬剤を「バンコマイシン」の点滴投与に転じて、事なきを得たが、「薬と薬が行き合て争ひをなし人を損ずることあり」(『南條兵衛七郎殿御書』)との日蓮聖人のお言葉を思い浮かべ、流石と合点した。これ今日の「お薬手帳」の基か。
  ◇  ◇  ◇
 さて、今夏はオリンピックが開催される。待ち遠しいのと同時に日蓮宗にあっては文永8年(龍口刃難と佐渡配流)の法難750年の大事な、大切な、節目の年である。この法難についての謂は控えるが、これより指折りて8年後の弘安2年(1279)富士山南麓(現・富士・富士宮の両市)に教線を伸ばす日蓮教団に、これを疎ましく思う人間が弾圧の策謀を企て、殉教者を出すに至る法難が起こる。これを熱原法難という。
 鎌倉時代の駿河の国は、源平の「富士川の戦」で武功のあった武田信義が源頼朝によって守護に任ぜられたが、4年で罷免。その後は代々北条執権家が守護となり、北条得宗家の主要基盤となった。にもかかわらず駿河在地の南條氏をはじめとする地頭層、民衆の中には日蓮聖人とその門弟に帰依する者が多かった。
 ことに駿河7郡中、富士南麓の富士郡下方(熱原・加島の南部一帯)は富士川のデルタ、肥沃にしていわば穀倉地帯。この一帯に日蓮聖人の高弟・日興上人は、熱原の滝泉寺の住僧らを教化、法華信仰を培い、育み、そして弘め、その法勲凄まじく、同地に日蓮聖人生前最大の信徒集団を作り上げた。これに対して滝泉寺院主代の平行智は、得宗被官上首の平頼綱と気脈を通じ、日蓮教団弾圧の謀を廻らした。その顛末は教誌『正法』160号のごとく、弘安2年(1279)9月、刈田狼藉を口実に、神四郎ら農民の信徒20人を捕縛、鎌倉へ連行。頼綱は念仏を強要したが彼らは唱題で答えた。その仕打ちは苛酷で首謀者の神四郎ら3人は斬首、17人は禁獄であった。悲しくも殉教の歴史を刻む。
 翻って、神四郎らが退転せず唱題したことを聞いた日蓮聖人は、「偏に只事に非ず、定めて平金吾(頼綱)の身に十羅刹の入り易はりて法華経の行者を試みたまふ歟」(『変毒為薬御書』)と申せと、日興上人らに指示している。後年、霜月騒動に勝利し権勢をほしいままにした頼綱であったが、熱原法難から14年後の永仁元年(1239)4月、頼綱とその一門は、執権北条貞時によって誅滅された(平頼綱の乱)。この誅伐を日興上人は「法華の現罰を蒙れり」(『本尊分与帳』)と記す。因果は生きている。
 話を元に戻そう。今年は文永8年の龍口・佐渡の法難から750年。この750年の歴史の流れは決して平坦なものではなかった。幾多の僧侶や信徒が尊い命を失ったことか。辛い思いをした者も数知れずいたことだろう。名も無き人たちが命がけで繋ぎにつなぎ、今日の法華信仰があると考えていい。その大河の流れの末に自分がいる。つねにそれを自覚して日々の信仰生活を送っていただきたいと願う。
(論説委員・中條曉秀)

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2020年1月1日号

令和は隣人とつなぐ

 令和の御代替わりから初めての正月を迎えたことをまずは寿ぎ、昨年の即位の慶びをよそに、大規模風水害で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
 他方では昨年の流行語大賞に選ばれた「ONE TEAM」のラグビー日本代表がワールドカップで初のベスト8に進出し、日本中が沸きかえりました。今年のオリンピック・パラリンピック開催に向けての日本のワンチーム結集に弾みがついたようです。また、死闘を繰り広げた選手たちの試合後のお互いを称え合う「ノーサイド」の精神も感動を与えてくれました。何があっても力を合わせて困難を乗り越えて行こうという、わが国伝統の大和魂を呼び起こしたに違いありません。
 世相も国情も益々混沌とした時代に向かっています。今のままでは私たちは間違いなく不幸のどん底に堕ちるしかありません。幾多の戦乱や災害に互助の精神で立ち向かってきた先祖に顔向けができないだけでなく、「立正安国・国土安穏」を唱えられた日蓮聖人に申し訳が立ちません。昨年の元旦号で「立正元年を蘇りの年に」と提唱しましたが、また、新年を迎えてその決意を改めて持続したいと覚悟します。
 今年は聖人の龍口法難・佐渡流罪から750年になります。その原因となった多くの予言の中に蒙古軍の襲来を断定された「他国進逼難」があります。実際に身延山に入られた文永11年(1274)10月に九州が襲撃されたのです。それを伝聞された聖人はお手紙の中で対馬や壱岐の惨状、危機感も持たず暢気に構えている民衆、出征する兵士と家族との悲しい別離など切々と訴えられています。再度の襲来とも奇跡的にワンチームになった日本人の強い結束で撃退できました。その後の他国からの侵略も何とかかわしてきました。しかし、その危機は今も目前にあり、これからも続きます。私たちはそれを回避することができるのでしょうか。
 昨年11月に韓国から14人のお客さまをお迎えしました。当寺の開山高麗日遙上人の故郷(朝鮮半島南部の河東)の子孫の一族です。昨年の春先から来日の意向が伝えられましたが、微妙な日韓関係の中、3度ほど断りの連絡があり来日が危ぶまれました。しかし、40年来の交流の効が奏し実現したのです。400年前に13歳で清正公に伴われて来日した少年・余大男(日遙上人)は、晩年熊本本妙寺から有明海の対岸・島原に当寺を創建し、終に帰国を果たせず、異国の地に79歳で亡くなりました。その故郷の子孫との交流を始めてから40年、世代を超えて何度も行き交い、関係を深めてきました。しかし、相互の国民感情とは別に両国政府は関係をこじらせています。
 同じ頃、沈寿官一族は鹿児島に渡来し薩摩焼を始めました。その14代目が昨年亡くなりました。400年間続いた家業を絶やすまいと、一途に家系を守り、日韓友好に尽力した人物です。その生き様は司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』に描かれました。両国の多くの人びとが善隣を求めて努力していますが、どうして改善されないのでしょう。今回来日した皆さまは何のわだかまりもなく400年前のおじいさんのお墓にお参りできたと大喜びで帰国しました。当寺の檀信徒との交流会では両国の唄や踊りが飛び交い盛り上がり親睦はさらに深まりました。
 嫌悪な日韓関係はいつノーサイドになるのでしょうか。観客はすでに敵味方ではなくなっているのです。この私たちのささやかな友好関係が少しでも役に立てればと、今年はさらなる交流を深めて行きたいと願っています。
(論説委員・岩永泰賢)

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新年のご挨拶。

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    中尾堯著
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    日蓮宗新聞社編
    日蓮宗新聞社
    定価 826円+税

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