2020年1月1日
令和は隣人とつなぐ
令和の御代替わりから初めての正月を迎えたことをまずは寿ぎ、昨年の即位の慶びをよそに、大規模風水害で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
他方では昨年の流行語大賞に選ばれた「ONE TEAM」のラグビー日本代表がワールドカップで初のベスト8に進出し、日本中が沸きかえりました。今年のオリンピック・パラリンピック開催に向けての日本のワンチーム結集に弾みがついたようです。また、死闘を繰り広げた選手たちの試合後のお互いを称え合う「ノーサイド」の精神も感動を与えてくれました。何があっても力を合わせて困難を乗り越えて行こうという、わが国伝統の大和魂を呼び起こしたに違いありません。
世相も国情も益々混沌とした時代に向かっています。今のままでは私たちは間違いなく不幸のどん底に堕ちるしかありません。幾多の戦乱や災害に互助の精神で立ち向かってきた先祖に顔向けができないだけでなく、「立正安国・国土安穏」を唱えられた日蓮聖人に申し訳が立ちません。昨年の元旦号で「立正元年を蘇りの年に」と提唱しましたが、また、新年を迎えてその決意を改めて持続したいと覚悟します。
今年は聖人の龍口法難・佐渡流罪から750年になります。その原因となった多くの予言の中に蒙古軍の襲来を断定された「他国進逼難」があります。実際に身延山に入られた文永11年(1274)10月に九州が襲撃されたのです。それを伝聞された聖人はお手紙の中で対馬や壱岐の惨状、危機感も持たず暢気に構えている民衆、出征する兵士と家族との悲しい別離など切々と訴えられています。再度の襲来とも奇跡的にワンチームになった日本人の強い結束で撃退できました。その後の他国からの侵略も何とかかわしてきました。しかし、その危機は今も目前にあり、これからも続きます。私たちはそれを回避することができるのでしょうか。
昨年11月に韓国から14人のお客さまをお迎えしました。当寺の開山高麗日遙上人の故郷(朝鮮半島南部の河東)の子孫の一族です。昨年の春先から来日の意向が伝えられましたが、微妙な日韓関係の中、3度ほど断りの連絡があり来日が危ぶまれました。しかし、40年来の交流の効が奏し実現したのです。400年前に13歳で清正公に伴われて来日した少年・余大男(日遙上人)は、晩年熊本本妙寺から有明海の対岸・島原に当寺を創建し、終に帰国を果たせず、異国の地に79歳で亡くなりました。その故郷の子孫との交流を始めてから40年、世代を超えて何度も行き交い、関係を深めてきました。しかし、相互の国民感情とは別に両国政府は関係をこじらせています。
同じ頃、沈寿官一族は鹿児島に渡来し薩摩焼を始めました。その14代目が昨年亡くなりました。400年間続いた家業を絶やすまいと、一途に家系を守り、日韓友好に尽力した人物です。その生き様は司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』に描かれました。両国の多くの人びとが善隣を求めて努力していますが、どうして改善されないのでしょう。今回来日した皆さまは何のわだかまりもなく400年前のおじいさんのお墓にお参りできたと大喜びで帰国しました。当寺の檀信徒との交流会では両国の唄や踊りが飛び交い盛り上がり親睦はさらに深まりました。
嫌悪な日韓関係はいつノーサイドになるのでしょうか。観客はすでに敵味方ではなくなっているのです。この私たちのささやかな友好関係が少しでも役に立てればと、今年はさらなる交流を深めて行きたいと願っています。
(論説委員・岩永泰賢)