論説

2019年10月20日号

鳩摩羅什

 7月10日号の本紙第1面などで、2年後の2021年に迎える日蓮聖人降誕八百年を記念し、『妙法蓮華経』の経典を漢訳された鳩摩羅什三蔵法師(344―413※諸説あり)への報恩のため、中国陜西省西安の法師ゆかりの「草堂寺」において、法要が営まれたことが報じられていました。この法要の発願は、日蓮聖人門下連合会(全10宗派一団)によるものです。
 たしかに、日蓮聖人の教えを基とする私たちにとって、1613年前の西暦406年に、偉大な法師である鳩摩羅什三蔵によって『妙法蓮華経』(以下『法華経』と略称)の漢訳がなされなければ、今日の私たちの信仰の根本的な依りどころがなかったことを意味しています。そのことからも、聖人門下連合の方々の報恩事業は、尊いものであることを強く感じています。
 この『法華経』がすぐれた教えであることを説き明かされたのは、中国仏教史上、陳・隋時代に活躍された天台大師智顗(538―597)の功績であります。すなわち、『法華経』を中核として、それまで漢訳された経典を体系化され、実践化されているのです。それらは、『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』の各10巻に、詳細に講述されています。
 さらに、唐時代の妙楽大師湛然(711―782)は、天台大師の法華思想の素晴らしさを、大師講説の三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)に対して、広汎な注釈を加え、天台教学が他の教義よりすぐれていることを力説されています。
 そして、日本の伝教大師最澄(767―822)は、それらの典籍を閲読して、天台教学をさらに探究すべく、延暦23(804)年、遣唐使に加わり、その天台大師の教えを比叡山を中心に顕揚され、さらに伝教大師の滅後400年に安房国に誕生された日蓮聖人は、その比叡山を中心に天台教学を研鑽されて、みずからを「根本大師(最澄)の門人日蓮」と称されているのです。そして、聖人は末法に久遠の釈尊から遣わされた本化上行菩薩のご自覚を表明されています。
 このように鳩摩羅什三蔵の漢訳『法華経』が歴史の場に登場することによって、その経典の偉大さが、天台―妙楽―伝教、そして日蓮聖人へと伝承されていくことになるのです。そのことに思いをはせるとき、それは釈尊のはからいであり、歴史的な奇跡のように思われてなりません。
 天台大師が、方便品を釈するに当たり、み仏たちの智慧の深遠なることを讃えて、「根深ければ枝さかへ、源遠ければ流れ長し」と解釈されています。まさに、『法華経』に説かれる久遠の釈尊の大慈大悲が、今日の私たちにそそがれていることを感じるのです。
 ところで、私はおよそ40年前の「第一次日蓮宗中国訪問使節団」(昭和55〈1980〉年9月3日~13日)に加わり、北京市の諸寺院、西安の草堂寺、大慈恩寺、浙江省の天台山国清寺、霊隠寺等を参拝したことを思い出します。
 ことに終南山の麓の田園風景の中、草堂寺を訪問し、羅什法師の舎利塔に参拝したことが忘れられません。しかし、悲しいことに中国の文化大革命の直後でしたから、寺院は荒廃し、大きな梵鐘が一基、そして、舎利塔が一塔あるのみで、仏像・仏具が存在しなかったのです。
 その第一次訪問以降、日蓮宗の各聖各位ご尽力のもと、みごとに寺院が復興されましたことは、大いなるよろこびとするところです。
(論説委員・北川前肇)

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2019年10月10日号

「よみがえれ!父性」―お父さんの存在とはー

 人間は、感覚情報として1秒間に400億ビットの情報を脳に取り込んでいるらしい。そして自分のほしいと思う情報を瞬時に分別し、取り入れるという能力を持っているのだ。自分自身にすりあわせてみると、「子ども」「教育」「宗教」というカテゴリーの情報を無意識に多く取り込んでいるという実感がある。子どもが、子どもらしく幸せに生きられる時代を考えていこうと思っているからであろう。しかし、今月もニュースは「虐待による子どもの悲しい死」を大きく取り上げていた。
 「ママ もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりかもっとあしたにはできるようにするから もうおねがいゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします もうあしたはぜったいやるんだとおもっていっしょうけんめいやる やるぞ」
 これは、父親の虐待で亡くなった5歳の女児の残したメモである。発達の過程においてこの年頃の子どもは、あそびを通した経験によって成長し、知識や情報の伝達方法を広げ、より社会化し、人間関係の広がりや深まりを培っていく。それに伴って文字に対する興味が増し、どこにでも自分の名前を書きたがったり、大好きな友達や関わる人に絵だけでなく文字で気持ちを手紙として書いたりする姿が見られることが特徴である。
 しかし、このメモの内容からは、実に閉鎖的で自虐的で逃げ場のない子どもの心情が悲しいほどに伝わってくる。5歳という小さな体に、振り上げた父親の拳はどれだけの恐怖であったか。目に見える父親は存在しているが、父親として内在していない家庭が増えてはいないだろうか? 
 すべてではないが、虐待した父親のほとんどが何かしらの経済的、社会的な困難を抱えており、一般的に理想とされる父親像でないことを父親自身が自覚している。そこで、何とか父親としての存在を示し、父親の役割を果たさなければという思いが、ゆがんだ行動として「しつけと称して」という虐待につながっているように思えてならない。
 仏教では、慈悲(思いやり)を説く際に慈を父性、悲を母性として考える。苦しみを共感し、受容しその苦しみを取り除こうとする母性の悲と、幸せを与える智慧を授ける父性の慈が合わさって、幸せに導かれるのだ。しかし、慈悲の欠落、母性と父性の未成熟が、このような事態を生み出してはいないだろうか? 
 本年、理化学研究所が出した調査では、子どもを虐待したとして服役した親たちのうち、72%が自分の子ども時代に虐待を受けていたことが報告されている。世のお父さんに申し上げたい。「よみがえれ!父性」今一度お父さんの役割を考えてほしい。お釈迦さまは、法華経の中で世の父であることを明かした。この父としての役割は、安穏な(幸せな)世界づくりは、力で抑えることでも力で奪うことでもない。父であるお釈迦さまの姿を引き継ぎ、大きな慈愛で智慧を授け、リーダーシップを持って導いていってほしい。子育ては伝承である。虐待を連鎖させてはいけない。
(論説委員・早﨑淳晃)

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2019年10月1日号

 ラオスで長い間活動を続けている。最近驚いたのはラオスには糖尿病患者が多いことだ。贅沢病などとも言われ、先進国に多いイメージがあるが、誤解だった。おそらく他の発展途上国も同様だと思うが、貧しいが故に米ばかり食べているからだ。
 さて、この原稿を書いている時点でまだ梅雨が明けていない。既に日照不足から野菜の発育が遅れている。このままではまた「米騒動」が起こるかもしれない。同じような天候が続いた26年前には米が店頭から消えてしまい、売られていたのはタイ米とカリフォルニア米だった。そのタイ米の不味かったこと。現地での活動はその当時で既に20年に及んでいたが、あんなに不味いタイ米はどんな田舎の飯屋でも出していなかった。
 バンコクでタイ米を輸出している業者に聞いた話によると、日本政府から豚の餌程度でいいから米を回して欲しいと依頼があったそうだ。タイは世界有数の米の輸出国である。たとえ突然の要求でも良い米を送る余裕はいくらでもあったそうだ。
 実は、その直前まで日本では若者を中心にイタメシ、タイメシが流行し始めていた。即ちイタリアやタイの料理である。その真っ只中に起きた米不足を利用して外米は不味いというイメージを若者に押しつけた。今もだが世界から米の輸入自由化を迫られている中、若者たちが日本米から離れれば大変なことになるからだろうと彼は言った。
 確かに米は不足していたが全くなかったわけではない。何割かの不足分だけ輸入すれば済んだはずだ。何か腑に落ちない。
 40年前にカンボジア難民キャンプで救援活動を始めた当時、日本は豊かだった。米に至っては3年前の古古古米が残っているほどだった。日本政府はそれを難民キャンプへの支援物資として送った。現地では1万人もの人たちが列を作ってタオルや石鹸などと共に受け取っていた。
 その後日本米がドブに捨てられていたことが明らかになった。水分が多すぎる日本米は食べられないのだそうだ。
 冒頭でも触れたラオス米はタイ米と並んで実に美味である。貧村に住む農民でなくとも、白米だけで食が進むほどだ。最高品質のものでもコシヒカリの10分の1程度の値で手に入る。なぜ日本は輸入しないのかと現地で問われたこともある。
 学校建設で訪れたベトナム国境近くの村で米倉を見ていたとき、村長が「珍しいのか」と聞いてきたので、日本にあるものには「ネズミ返し」の板が付いていると絵を描いて説明した。
 すると村長は「日本人はひどいことをするな。そんなことをしたらネズミが飯を食えなくなるじゃないか」と真顔で言った。
 ブータンでは炊きたての米の中に手を入れ、練った糊状の米で汚れを落としてから食事が始まると、朝日新聞社が「アジア万華鏡」で紹介していた。
 多種多様な価値観は様々な経験から生まれる。北限を越えていた稲作に苦労した日本人と、水さえあれば三期作も可能な国々とでは米の価値が違う。何事も机上の空論では理解できない。「10人いれば10人の社会学がある」と仰った、故久保田正文先生の教えを懐かしく思い出す。
(論説委員・伊藤佳通)

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今年の1月13日の御年頭会の日も晴天にめぐまれました。

日蓮聖人の新年初の月命日はいつも晴れます。

みなさま今年もお元気でがんばっていきましょう!

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