2019年10月1日
米
ラオスで長い間活動を続けている。最近驚いたのはラオスには糖尿病患者が多いことだ。贅沢病などとも言われ、先進国に多いイメージがあるが、誤解だった。おそらく他の発展途上国も同様だと思うが、貧しいが故に米ばかり食べているからだ。
さて、この原稿を書いている時点でまだ梅雨が明けていない。既に日照不足から野菜の発育が遅れている。このままではまた「米騒動」が起こるかもしれない。同じような天候が続いた26年前には米が店頭から消えてしまい、売られていたのはタイ米とカリフォルニア米だった。そのタイ米の不味かったこと。現地での活動はその当時で既に20年に及んでいたが、あんなに不味いタイ米はどんな田舎の飯屋でも出していなかった。
バンコクでタイ米を輸出している業者に聞いた話によると、日本政府から豚の餌程度でいいから米を回して欲しいと依頼があったそうだ。タイは世界有数の米の輸出国である。たとえ突然の要求でも良い米を送る余裕はいくらでもあったそうだ。
実は、その直前まで日本では若者を中心にイタメシ、タイメシが流行し始めていた。即ちイタリアやタイの料理である。その真っ只中に起きた米不足を利用して外米は不味いというイメージを若者に押しつけた。今もだが世界から米の輸入自由化を迫られている中、若者たちが日本米から離れれば大変なことになるからだろうと彼は言った。
確かに米は不足していたが全くなかったわけではない。何割かの不足分だけ輸入すれば済んだはずだ。何か腑に落ちない。
40年前にカンボジア難民キャンプで救援活動を始めた当時、日本は豊かだった。米に至っては3年前の古古古米が残っているほどだった。日本政府はそれを難民キャンプへの支援物資として送った。現地では1万人もの人たちが列を作ってタオルや石鹸などと共に受け取っていた。
その後日本米がドブに捨てられていたことが明らかになった。水分が多すぎる日本米は食べられないのだそうだ。
冒頭でも触れたラオス米はタイ米と並んで実に美味である。貧村に住む農民でなくとも、白米だけで食が進むほどだ。最高品質のものでもコシヒカリの10分の1程度の値で手に入る。なぜ日本は輸入しないのかと現地で問われたこともある。
学校建設で訪れたベトナム国境近くの村で米倉を見ていたとき、村長が「珍しいのか」と聞いてきたので、日本にあるものには「ネズミ返し」の板が付いていると絵を描いて説明した。
すると村長は「日本人はひどいことをするな。そんなことをしたらネズミが飯を食えなくなるじゃないか」と真顔で言った。
ブータンでは炊きたての米の中に手を入れ、練った糊状の米で汚れを落としてから食事が始まると、朝日新聞社が「アジア万華鏡」で紹介していた。
多種多様な価値観は様々な経験から生まれる。北限を越えていた稲作に苦労した日本人と、水さえあれば三期作も可能な国々とでは米の価値が違う。何事も机上の空論では理解できない。「10人いれば10人の社会学がある」と仰った、故久保田正文先生の教えを懐かしく思い出す。
(論説委員・伊藤佳通)