ひとくち説法
2019年9月20日号
「いのち」
世界の飢餓人口は8億2千万人、餓死者は1日4万人とも言われる。反面、まだ食べることのできる食品を捨てている。日本だけでも食品廃棄は643万㌧。矛盾に満ちている。
山梨3部布教師会では「命の尊厳を見直す」を
テーマに平成4年から「朝粥会」を開催している。
食べ物の尊さ・食の原点を見直そうと毎年3回、近年は100人を超す参加者と、早朝のお勤めをし、法話を聞法して、食の原点とも言われる1杯の「おかゆ」を皆で頂く。日々の生活でも食事を頂く時、「いただきます」と箸を取る、まさに他の生命を頂くのだ。我々は人として生まれ、やがて死を迎える。その人を支えた他の命はどれほどあるのだろうか。その尊い命に支えられた私たちがどのように生きるのかを問い正す貴重な時間だ。
今、食事より服装や体裁にお金をかける、新たな飢餓が生まれている。この社会は人にとって何が大切か考えるてみるべきだ。
(山梨県3部布教師会長・柏原啓修)
2019年9月10日号
損得でなく尊徳で
4つのリンゴを3人で分けるとしたらどうしたらいいでしょうか? 1人1つずつ分けて、最後の1つは3等分に切るのでしょうか。最後の1つをめぐって奪い合いますか? それとも誰かが遠慮しますか? こんな素敵な答えもあります。「1人1つずつもらって、もう1つは仏さまにお供えすることにしよう」。
私たちは、ついつい損得勘定で計算してしまいますが、「尊徳」でモノを見ると随分違って世の中が見えてきます。買い物に行けば、少しでも安いモノを買えば得した気になります。しかし、見方を変えれば「もっと安くもっと安く」は「相手からどれだけ奪えるか」ということでもあります。
仏さまの教えは、与え愛です。目の前にいる人に何かをプレゼントしよう、喜ばせようという心構えの人の心はあたたかです。与えるとは、別々に見える命が本来はひとつであるということの体現です。
(山梨県第2部布教師会長・功刀貞行)
2019年9月1日号
親の果たす役割とは…
「子どもは親の背中を見て育つ」と言われ、善悪の判断ができない子どもは、親の良い面、悪い面の全てを常識として受け止め成長いたします。
某紙にデパートで飛び回る子どもの話として「元気があって良い子」だと目を細めて見ている親。少しだけまともになると「怖いオジちゃんに怒られるから止めなさい」と言う親。そして正しい親ですと「怒られるから」ではなく「悪いことだからやめなさい」とたしなめる親。子どもは利口ですから「怒られなければやってもいいんだ」と解釈する、とありました。
なるほど、と思いました。
日蓮聖人は「体曲がれば影ななめなり」と教示され、親の善悪の言動が、そのまま子どもの行いに反映するとおっしゃいました。
「子は親の鑑」そして「親は子の鏡」です。愛しい我が子の真っ直ぐな成長のために、親として、大人の責任を果たしていきたいものです。
(山梨県第1部布教師会長・町田英昭)