論説

2019年8月20日号

共に生き 共に栄える

 講道館柔道の生みの親、柔道の父といわれた嘉納治五郎先生(1860-1938)はしばしば「自他共栄」を口にした。
  社会を成し、団体生活を営んでいる以上、その団体・社会を組織している各成員が、その他の成員と相互に融和協調して、共に生き栄えることほど大切なるはあるまい。
 嘉納先生の「自他共栄」とは、柔術を通して「自らを敬い、相手尊敬し、社会が共に栄える」ということである。
 身延山第90世法主岩間日勇猊下は『光明』誌のなかで
 わかちあえば 足りるものを
 奪いあえば 足りなくなり
 勝者は満腹し 敗者は飢える
 ここに平和はなく 闘争が繰り返される
 わかちあって共に生き 共に栄えることを学べ
 施す者に幸があり 捧ぐる者に栄えがある
 これを知れば人に惠が
 地上に平和がもたらされる
と人類の「共生共栄」による平和を強く訴えられている。それは嘉納先生の「自他共栄」と根本的に同じである。
 今、国内外には困難な諸問題が存在する。国内においては超少子高齢社会の到来、経済格差の拡大、人命軽視事件の頻発、家庭崩壊。国外においては民族・宗教などの対立による紛争の連鎖、政治不安による難民の発生、地球温暖化など。
 これらの事象は法華経に説示される「恐怖悪世」「悪世末法」、日蓮聖人がいう末法の様相そのものだ。宗門を取り巻く状況も厳しい。三離れはいうに及ばず、過疎化の進む地域では後継者確保もままならない。次世代信仰相続も難しくなっている。
 そこで身延山では、この事態打開のため4月1日、機構改革を行い「共栄部」を設け、「共に生き、共に栄える」ことをスローガンに信仰運動「共栄運動」を推進することを決し、9月16日から実動することにした。
 「共生共栄」とは、生きとし生けるものが「共に生き、共に栄える」ことにある。その原点は、法華経第7章「化城喩品」の「皆共成仏道(皆共に仏道を成ぜん)」、すべての人が皆平等に仏と成ることにある。また、法華経如来寿量品に説かれる「倶」「及」の世界顕現であり、日蓮聖人が『観心本尊抄』に示された「今本時」、時空を超えて仏陀釈尊と共に生き、共に在る世界で安穏なる生業を送ることに他ならない。結句は、お題目の身・口・意にわたる三業受持による「常寂光浄土」の境涯へと至ることである。
 「共生共栄」は祖願である「立正安国」を具現化することに他ならない。身延山は、世の安穏、人びとの安寧実現のため「共栄運動」の第一歩をここに踏み出し、基本理念にもとづき基本方針・基本計画を立てた。基本方針9項目とは
①「世界、日本」と共に栄える
②「世界、日本の仏教徒」と共に栄える
③「宗門」と共に栄える
④「本山・寺院・教会・結社」と共に栄える
⑤「檀信徒」と共に栄える
⑥「題目系教団」と共に栄える
⑦「日蓮門下諸宗」と共に栄える
⑧「山内支院、地域」と共に栄える
⑨「諸関係機関」と共に栄える
であり、基本方針に沿い短期(1年~3年)・中期(3年~5年)・長期(5年~50年)の細目にわたる計画を設け、2年ごとにその達成度の点検を行い次のステップへと取組むこととした。身延山という山紫水明豊かな大ステージと大伽藍群、国内外にその素晴らしさを伝え、「お題目の聖地」として全ての社会と共に生き共に栄えることに向う。
(論説委員・浜島典彦)

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2019年8月10日号

お盆は先祖と子孫の出会いの日 ―過去に感謝し、未来を祈ろう

 お盆は私たち仏教徒にとって、1年中で一番大切な行事。
 その大切なはずのお盆の意義が、現代にあっては、だんだんと認識されなくなっていることに大きな危惧を抱く。
 信仰心があろうとなかろうとお盆の休暇を楽しみにしている人は多い。それを悪いというつもりはない。ただ思い出してほしいのは、その休暇を待っているのは生きている私たちだけではないということである。
 誰よりも、この時を待っているのは、ご先祖さまという考えを昔の人は持っていた。ご先祖さまにとって1年に1度だけ里帰りできる日、それがお盆だと教えられ、長い間、その伝統行事を守ってきた。
 ところが最近では、ご先祖さまがお帰りになっても、子孫の人たちは旅行に出かけ、家は留守というケースが増えている。これでは、ご先祖さまは帰る所がなく、難民になってしまうのではないだろうか。何年たっても、お詣りがなく、線香の1本も立っていないお墓や納骨壇を目にするにつけ、そんな思いを強くする。
 そう言っても、それは古い考え、坊さんの屁理屈だと、今の人たちはなかなか耳を貸してはくれないかもしれない。だけど、坊さんがご先祖さまに代わって、その悲しい気持ちを訴えなければ、誰もそれを知ってはくれないだろう。それならば、この際、はっきり言わせてもらおう。ご先祖さまを難民にすれば、子孫は流民になってしまうと。私たち日本人は、ご先祖さまを大切にしてきたからこそ、今日に至るまで国体を維持することができているのである。そのことを忘れてはなるまい。
 時代は令和と元号が改まり、我が国は、歴史の新しい歩みを始めている。そんな中にあって私には、強烈にそれを意識させられた出来事があった。それはいよいよ時代が変わるという平成31年の4月30日のこと。天皇陛下が宮中に設えられている三殿に衣装を整え、古式に則り、退位の奉告をなさったことである。
 三殿とは、皇室の祖神、天照大神をお祀りする賢所が中央に位置し、その西側に歴代の天皇をお祀りする皇霊殿、そして東には天神地祇、国内の八百万の神が祀られている神殿のことをいう。陛下はその順に三殿を参拝なさり、私はそのお姿をテレビで拝見させてもらった。そしてその時、ふと思い浮かんだのは、象徴という言葉だった。
 この言葉は、陛下ご自身が、「日本国の象徴として」と幾度となく口になさっている。辞書で調べてみたら、この言葉は、シンボルの訳語で明治時代にできたものだとか。その意味は、抽象的な精神内容を具体的な事物によって連想させることとだけ説明してあった。
 それならば、陛下はご在位中、象徴というという言葉を体現するにはどのようにすればよいかと考え続けてこられたことだろう。背中の丸まった陛下のお姿を拝すれば、ただ、「ご苦労さまでした」と申し上げるほかない。そんな陛下のお気持ちを、そのままに汲み取ったのが三殿の神々だったのではないだろうか。
 そう思い至った時、仏教には帰依・帰命という言葉があることに気がついた。
 この言葉は、ナーム(南無)というインドの言葉を意訳したもの。陛下は帰るべきいのちの故里のことを思い、未来の世の安穏ならんことを祈って、この儀を納められたに違いない。
 そんな陛下の気持ちにならい、お盆を迎えたい。8月15日は不戦を誓う終戦記念日でもあるのだから。
(論説委員・中村潤一)

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2019年8月1日号

追善供養の強化月間

今年も、広島・長崎の原爆記念日と終戦記念日、そして月遅れのお盆の月に入る。毎年この月には、他の11ヵ月とは違う独特の空気感を感じていた。それは、肌にまとわりつくじっとりとした汗の感覚とともに、むせかえるような、しかし不思議と不快と感じない匂いを伴っている。水の張られた緑の田んぼを吹き渡るさわやかな風とともに、8月の31日間は、一貫して同じ空気感を醸しているように感じるものだ。
 もちろん僧侶としては、檀家を回って棚経をお勤めしなければならない。体力的には結構しんどいものであるが、個々のお宅での読経や唱題が周りに染み渡っていくように思える。
 個人的なことであるが、今年は家族の初盆でもあるから、なおさらに亡き人への思いが柔らかく大きく形作られ、お盆のお迎えを心待ちにしている自分に気づく。
 ところで、日蓮宗では、毎年終戦記念日である8月15日に、東京・千鳥ヶ淵の戦没者墓苑で、東京4宗務所を中心に法要を営み、軍人、民間人の区別なく、すべての戦没者に対して追善供養を執り行い、戦争のない恒久の世界平和を心から、そして強く祈ってきた。
 8月15日は棚経の最終日に当たるため、まず参列できないところであるが、宗門での役目上、棚経の予定をなんとかやりくりして、2年連続で参列することがあった。
 そこで目にしたものは、線香の煙がたなびく中で、厳しい残暑に汗をぬぐいながら、花を供え、一心に合掌する人びとの姿であった。その姿は次から次へと続き、途絶えることがない。酷暑であろうが、突然の大雨であろうが、そんなことは気にも留めず、延々と続く祈りの情景に深い感銘を受けたのである。戦後70年以上が経過して、戦没者のご遺族も高齢化し、戦争の記憶の希薄化が指摘されている現代において、残暑の戦没者墓苑を訪れる人の多さに感じ入ったのである。
 また、広島の原爆の日にも、平和記念公園での広島県宗務所主催の法要に参列させていただいたことがあった。早朝、6時半からの法要のため、前泊した岩国のホテルを暗い内に出発して、6時前には公園に着いていた。広島市主催の平和記念式典までにはだいぶ時間があるから、あまり人がいないだろうと思っていた。しかし、着いてみれば、すでに多くの人がお参りに来ており、線香の煙が公園一帯に漂っていたのである。早朝にもかかわらず非常に蒸し暑い日で、にじむ汗をぬぐいながの法要参列となった。
 手を合わせる人びとはそろって無言で黙々と歩く。その流れに乗って歩きながら、かえってそこに人びとの祈りの強さと深さを感じたところである。
 終戦記念日にせよ、原爆忌にせよ、すでに70年以上の星霜を経ているにもかかわらず、お参りをするご遺族の思いは色あせることがないのであろう。また、ここでも、明らかに戦後生まれと思われる人たちも多くお参りなさっており、回向供養のこころが世代間で引き継がれているのを見て取ったのである。
 こうして8月は、お盆月であると同時に、先の大戦で命を奪われた人びとへの供養によって醸し出される独特の雰囲気に包まれる。人それぞれに、縁ある人への追善供養の心を実現するための強化月間なのだ。
 また今年も、縁ある亡き人への思いのたけを祈りに込め、容赦ない日照り、突然の雷雨があろうとも、汗をぬぐいながら、法華経とお題目を思う存分ご供養申し上げよう。
(論説委員・中井本秀)

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新年のご挨拶。

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