論説

2019年6月20日号

人生は旅、出会いは必然

 過ぎ去った昔をかえりみることを、「回顧」と称します。それは、いまの姿や、自己の立脚点がどのような経緯をへて、今日にいたっているかについて、できるだけ、客観的に捉えようとする心のはたらきであると思われます。
 もちろん、自己の生き方というものは、自己の主体的認識方法と表裏をなすものですから、過ぎ去った時間の流れをいかに客観的に捉えようとしても、結局のところは、主観的立場からの認識であることを知るのです。つまり、いまの時間を軸に、自己の歩みをふり返ることが「回顧」ということでしょう。
 ところで、先人たちは人生というものを1つの「旅」にたとえています。もちろん、旅に出た私たちは、その出発点へ2度ともどることはできません。この世に誕生したことを、旅の出発とすれば、この世における生命の終りが旅の終着点と考えなければならないでしょう。
 その旅が、人生の終着点までつづくとすれば、その旅の目的が何であるのか、その終着点をいかに定め、また何を目標とするかによって、10人あれば10種の、100人あれば100種の、旅のすがた、かたちがあり、けっして同一の旅は存在していないことに気づくのです。ここに、個々の人生が展開しているのです。その意味において、1人ひとりの旅は、歴史としての事件や社会的出来事に遭遇したとしても、きわめて個別性をもっているものと言えましょう。
 そのような旅において、人生を決定づける重要な出来事の1つに「出会い」があることを先人たちは語っています。その出会いが、人と人との出会いであったり、あるいは1つの出来事であったり、あるいは1冊の文学作品であったり、ある詩の1節であったり、または芸術作品であったりいたします。まさにそれは、この世に生存している人々の個別的なものとの出会い、と表現できるでしょう。
 詩人で、評論家でもあった大岡信氏(1931-2017)は、昭和54年(1979)1月から朝日新聞の第1面に、「折々のうた」を連載し、短文ながらも滋味に満ちた文章であったことを思い出します。その大岡氏の評論集を閲読した私は、いまも心に残っている1節があります。40年余りの歳月を経ても、大きく作用しています。それは、「出会いは必然である」という文章です。
 たしかに、私たち凡人には、歴史的事件や、自然的現象というものは、一見偶然の出来事のように捉えがちです。けれども、そこには、結果として引き起こされる要因というものが必ず存在し、その結果として現実があるといえましょう。
 その意味において、人と人との出会いが、その人の求める心や同一の志向、同一の認識方法、同一の価値観などを要因として、両者に引き起こされるものであると、考えるならば、出会いは、けっして偶然ではないことを知るのです。
 馬齢を重ねた私は、50年以前の大学時代の友人たちが、遷化し、この世にとどまる寂しさを感じながらも、それらの友人たちとの出会いが、けっして偶然のものでなかったことを、あらためて感じています。つまり、過ぎ去らない必然の時間として存在しています。
 日蓮聖人(1222-82)が、釈尊のみこころを知る「智者」を目指されたことにより、佐渡流罪中、はっきりと久遠のみ仏(釈尊)の使者として、この世につかわされたというご自覚を表明されたのも、必然のことであった、と断言できるのです。(論説委員・北川前肇)

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2019年6月10日号

「おばあちゃん仮説」のススメ

 交差点に散乱した破片、壊れた自転車、またある時は公園の柵やコンビニエンスストアーを突き破る車輌など悲惨な事故現場をテレビ報道で視る機会が増えた。4月、東京都の池袋で87歳の男性が運転する乗用車が暴走し、母子2人が死亡、8人が負傷した事故は、改めて高齢ドライバー問題を浮き彫りにした。犠牲となった人と遺族を思うといたたまれなくなる。繰り返される悲劇に、高齢者から免許を取り上げるべきとの世論が高まる一方、エイジズム(年齢差別)との批判も出ている。高齢化社会は、少子化問題と対になって論議が繰り返されてきたが、一向に解決の兆しが見えないのも現実である。しかし、一方的に迷惑をかける存在として排除していこうという働きかけが、未来の展望となるのであろうか? 「お年寄りはお荷物」という風潮を何とか払拭したいと考える。
 つい先日、興味深い話を聞いた。京都大学総長、霊長類学者でゴリラ研究の第一人者山極壽一先生は、「老年期の進化と人間社会の未来」と題して、なぜヒトには長い老年期があるのかについてアメリカの人類学者クリスティン・ホークス博士が提唱した「おばあちゃん仮説」を取り上げていた。霊長類の中で、ヒト科の人間だけは繁殖能力を停止してからも20~~30年生きることができ、さらに言葉を持つようになってからは、次世代の人たちが経験していないことを言葉やシンボルを使って伝えるようになった。生き延びてきた老年期の人たちの経験が受け継がれ、次世代に活かすことができたのは、人間だけであると言っていた。また、ゴリラの雄の特徴からも集団のリーダーでいられるのは、子どもに慕われていることが理由で、年をとってもその存在でいられるのはその理由が起因しているという。人間も同じ類を見る。生物学的に言えば、生殖機能を失った存在が、長生きして自分の子の子育てを手伝うことで、種の繁栄に寄与する役割を担っているのではないかという「おばあちゃん仮説」は、祖父母が長く生きていくことができる意義を示し、未来がここにあるとこの話をわくわくしながら聞いた。私が園長を務める園でも、就労している母親に代わって祖父母が子育てを担っている家庭が増えている。その祖母たちの特徴をふりかえってみると、我が孫の養育だけでなく園の在園児たち、保護者たちにおおらかにして広く心を開き接してくれるおかげで、親近感や信頼感を抱かせてくれるありがたい存在である。これは、保育者と保護者の関係とはまた違った家族的な関係性をもたらしてくれ、気軽に関わり相談できる存在として大変大きな役割を果たしている。あたたかなこの風景を眺めながら、高齢者たちがいきいきとその役割を担って、3世代を繋ぐ関係、縁づくりの中心になるための橋渡しはできないかと考える。地域の高齢者たちの豊かな経験が世代を跨いだ交流関係として活かせたとき、人類はまた新たな進化へ向かうのではないかと思う。
 山極先生は、人間の進化はゴリラ同様に子どもを皆で育て食物を分配することから始まったとし、種族社会の中で血縁関係がないものへも相手を助けようという行動が生まれたことから高い共感能力が発達したと述べている。この共感能力を具体的に見返りのない奉仕をすること、何かをしてもらったら必ずお返しをすること、自分がどこに所属しているかという帰属意識をもつことと示していた。菩薩行、利他行、布施行すり合わせてみると信仰の世界とぴったりと重なる。
(論説委員・早﨑淳晃)

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2019年6月1日号

温暖化? 寒冷化?

 東京で日本一早く桜が満開を迎えたというのに寄住する寺がある静岡市では4月に入ってもまだ三部咲き程度だ。東北では太平洋側にまで積雪があったという。いわゆる異常気象というのだろうか。
 しかし地球は温暖化に向かっているのではなかったか。それを防止するために世界会議を何回も開き、二酸化炭素(CO2)の排出量に規制までかけていたはずだ。どういうことなのだろう。
 実は、地球の温暖化は事実らしいのだが、その原因についてはまだはっきりしていないのだそうだ。たしかにCO2の量も増えていて大気温もそれに歩調を合わせるように変化しているのだが、そのどちらが原因であるかで意見が分かれているらしい。CO2が増加したから大気温が上がったという説と、大気温が高くなったので岩石や海水に含まれていたCO2が大量に気化したという説である。
 いずれが原因であるにせよ、大気温の上昇は地球環境に大きな影響を与え、いずれは生物が住めなくなるほど海水面が上昇するなどといわれると、なんとか阻止しなければならないと考えるのは当然だろう。
 ところが、恐竜が生息していた1億5千万年前から6千500万年前までの地球の平均気温は現在より6度も高く、CO2の量は6倍から10倍だったと養老孟司氏がその著書で発表している。炭酸同化作用に必要なCO2が多いということは、酸素の量も多かったということであり、その上気温が高いとなれば植物の発育にとって最良の環境であった。だから草木が生い茂り、草食竜が成長し、それを食べる肉食竜も巨大化した。石油も石炭も使わなかった時代に、自然に発生したCO2が地球上に充満していたことも驚きだ。南極の氷が完全に溶けたという歴史上の記録もないからCO2による悪影響はさほどではなかったことになる。
 その恐竜が滅びたのは何らかの原因による地球の寒冷化だった。今、地球は寒冷化に向かっていると説く科学者が増えている。それは太陽の活動が鈍ってきたからだそうだ。黒点数が減少している事実も指摘されてきた。黒点数は11年周期で増減を繰り返しているのだが、最近は最大期になってもそれほど増えていない。恐竜が滅びたほどではないにせよ寒冷期が迫っているとなれば大変なことだ。
 農作物の不作が続き、水源の凍結により飲料水の確保が困難になる。寒い地方では港が凍り、船が使えなくなる。燃料費が高騰して貧しい国ではガソリンが買えなくなる。温暖化を問題視していたことを後悔するときが来るのかもしれない。
 いずれにしても地球の気候変動は、宇宙規模の出来事で、46億年の地球の歴史の中では何回も繰り返されてきたのだろう。
 地球は1人で宇宙に浮かんでいるのではない。それは太陽系を形作り、銀河系の一部をなし、宇宙の一員でもある。地球上での出来事は宇宙の出来事そのものだ。その宇宙即ち、三千世界が我々の一念にあるというのだから、個々がその意識を持って生きることこそが地球のいや、宇宙の未来を救う事になるのではないか。ここでも祈るだけではない実践が問われている。
(論説委員・伊藤佳通)

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新年のご挨拶。

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