論説

2019年3月20日号

但行礼拝の実践

仏教者による日本初のハンセン病療養所を創設した綱脇龍妙上人(1876~1970)。今年12月に第50回忌を迎えます。
ハンセン病は遺伝・業病と烙印を押され、国さえ放置していた時代。綱脇上人による救済活動は、社会的に高く評価され、第1回仏教伝道文化賞が授与され、さらに財団法人「藤楓教会」総裁高松宮宣仁親王からは、「ハンセン病患者の収容治療に当り日本人による我が国最古の施設として今日まで救済事業に功献された功績は極めて顕著」と表彰されました。
明治39年(1906)、身延山参拝の時に偶然出会ったハンセン病の少年。その悲惨な生い立ちを聞き、綱脇上人は、胸が引き裂かれる衝撃を受けたといいます。身延山滞在中、御廟所で太鼓の音とともに、「なんとかしてやれや、なんとかしてやれや」という声を聞いた綱脇上人。「布教家か救済か」との自問自答の末、ついに救済を決意しました。まさに仏さまの声でした。綱脇上人は、「十萬一厘講」(10万人に1日1厘寄付してもらう)を考え、浄財勧募に東奔西走しました。その願いが通じて、身延山をはじめ多くの人たちから支援をいただき病舎を建て、13人のハンセン病患者を収容しました。
病院名「身延深敬病院」(のちの身延深敬園)の由来は、法華経常不軽菩薩品の「我深敬汝等」の経文からでした。不軽菩薩(お釈迦さまの修行の姿)は出会う人すべてに「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏」【(我 深く汝等を敬う 敢えて軽慢せず。ゆえはいかん。汝等皆菩薩の道を行じて 当に作仏することを得べしと)】(わたしはあなた方を深く敬います。あえて軽んじません。なぜならあなた方は皆菩薩道を実践して成仏するからです)と言って、すべての人に合掌礼拝を続けました。これを「但(たん)行(ぎょう)礼拝(らいはい)」と言います。綱脇上人はまさに但行礼拝を実践しました。
深敬病院や法号「深敬院日〓上人」に「深敬」の文字を用いた綱脇上人は、常不軽菩薩品を重視しました。そのことは「法華経の三大眼目は、二乗作仏、久遠実成、不軽深敬の三つと考えられる。譬えば二乗作仏は鳥の頭、木の根、三学では慧にあたり、久遠実成は鳥の胴体、木の枝葉にあたり三学では定、不軽深敬は鳥の羽と足、木の果実にあたり三学では戒にあたる。この三つは鼎(かなえ)の足と同様で一つでも欠ければその働きをなさない」(『教学研究大会紀要』)からも理解できます。
現在、日蓮宗では宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」を展開し、最終の結実活動期を迎えます。今回の宗門運動は、お題目によるあんのんな社会づくりを目標に、未信徒をお題目結縁に導く社会教化に重点が置かれています。その実現に向け、手本として注目されたのが不軽菩薩の但行礼拝の振舞でした。
今から110年前、ハンセン病患者に寄り添い、救いの手を差し伸べた綱脇上人。日蓮聖人の御廟所で、南無妙法蓮華経の響きが「なんとかしてやれや」という日蓮聖人の声に聞こえました。苦しむ患者たちを目の当たりにして「なんとかしてやりたい」という強い気持ちがあったからこそ聞こえた導きの声だったのではないでしょうか。
綱脇上人は、いのちがけで不軽菩薩の但行礼拝を実践しました。「いのちに合掌」のスローガンを掲げ最終期に入った宗門運動では、その結果を出すことが求められます。僧侶と檀信徒が一体となって「自らのいのちで、魂で、信念をもって」あらゆるいのちに合掌する運動として展開していきましょう。
(論説委員・奥田正叡)

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2019年3月10日号

平成後への志向と立正安国・お題目結縁運動

平成後への志向
昨年の11月2日の読売新聞に中高生を対象に行われた「平成時代アンケート」の結果が発表されていた。全国の中学・高校から選ばれた58校の2万980人の生徒を対象にしたものであった。
30年続いた平成の時代は終わり、今年から新しい時代が始まる。平成の時代はバブル経済が崩壊したり、天変地変があい続いて起きたりした時代であった。その天災は各地に多大な被害をもたらし、大勢の犠牲者を出した。被災した人びとは大変な苦労をされ、さらに深い悲しみに堪えてきた。異常気象時代を迎えて、安全安心に生きられることが、いかに幸せなことであるかを痛感した時代であった。
特筆すべきは、オウム真理教のテロ活動があったことである。社会に安心を与えなければならない宗教団体が、社会を不安に陥れるようなことをした事件は平成時代の大汚点といえよう。さらになくなりゆく戦争世代の人たちが戦争の悲惨さや原爆の残酷さを伝え、平和こそ人間生存にとって大切なことを語り継いできた時代でもあった。
次世代を担う中高生の諸君はこの現実を見聞して、未来の社会に求める価値観を、第1に平和、第2に安全、第3に安心としたとあった。これを見て読者は、日本の将来に希望を持てたと思う。
核軍拡競争への憂慮
朝鮮半島の非核化は、昨年6月の米朝首脳会談で約束されたが、再び会談が予定されているのでその進展に期待しよう。しかし一方において米国はロシアとの間に結ばれていたINF(中距離核戦力)全廃条約を破棄することをロシアに通告し、今年7月にはこの条約は失効するという。その理由は、ロシアで新たな地上発射巡航ミサイルが開発されていることがINF条約に違反するからというのである。他方、中国ではこの条約には関係なく中距離核戦力を増強していると伝えられている。
これらのことから、核戦力の軍拡競争が始まったのではないかと憂慮されている。これは北朝鮮の非核化を前進させるためにも、世界人類の平和のためにも、止めてもらわなければならない。世界の核廃絶の流れを逆流させてはならないからだ。
立正安国・お題目結縁運動を担う私たちが、真剣に核廃絶の運動に立ち上がらなければならない時が来ている。
立正安国・お題目結縁運動
日本には核兵器廃絶を訴えていく使命がある。新しい時代を迎えようとしている日本は、この核廃絶を新しい時代への志向として世界をリードしていく使命がある。核兵器で国の犠牲になった人びとの核廃絶の尊い願いを背負っているからだ。
日蓮聖人降誕八百年に向かって展開している立正安国・お題目結縁運動が、新しい時代にめぐり会えたことは、この運動であることを示している。
日蓮聖人の魂魄は、佐渡でお過ごしの中で、法華経に生きる信仰の三大原理をお示しになられた。その中で私たちの生きる目的は、この娑婆世界を平和な仏国土とすることだとしている。つまり立正安国・立正世界平和の実現である。そのためには、ご本仏の心とともにお題目を身と口と意で唱えて生きろと言われている。日蓮聖人はこのことに命をかけるためにお生まれになられた。
降誕八百年を寿いで、全世界に向かって、声を惜しまずお題目を唱えて行動していこう。
(論説委員・功刀貞如)

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2019年3月1日号

菩薩の作法「合掌」

「人間でいるための作法」は、『人権のひろば』(公益財団法人人権擁護協力会編集発行)に掲載される作家・早瀬詠一郎氏によるエッセイである。
第22回のエッセイのタイトルは―「いじる」という名の「いじめ」―であった。文章の冒頭、早瀬氏は「いじめ」を平仮名表記することに対し問題提起されている。以下引用
子どもにも分かりやすくしているつもりなのでしょうが、軽く思えてしまうのは私だけではない気がします。
「苛め」は、苛立つことが語源です。すなわち、加害者側。
「虐め」とするなら、虐待を思い起こすように被害者側の凄惨が感じられます。
早瀬氏は、学校は子どもにとって実社会の入り口であり、家族や地域などの空間と異なり、同世代が寄り集まって、親たち大人世界を、自分なりに捉える場所であると綴られている。
学校あるいはクラスや部活という閉鎖された場所で起こる「いじめ」を、苛める者・虐められる者と見るならば、相互が抱える辛く重い姿がリアリティーを持って浮かび上がる。では「いじめ」―苛め虐められる世界のはじまりは何であろうか。
筆者が預かる小寺では、夏休みのこども道場以外にもさまざまな子どもが来て、一緒に食事をしたり色々な会話に応じてくれる。また、教誨師として関わる少年刑務所の被収容者たちの告白や懺悔、あるいは人権擁護委員に寄せられるSOSミニレターでの相談を通じ、「いじめ」のきっかけの多くが、「いじる」ことにあるように感じている。
「いじる」とは、特定の相手に対し短所や欠点、特徴をあげつらうことである。早瀬氏もエッセイで指摘しているが、お笑い芸人ならば「いじる」ことは、舞台で演じる限られた時間内のネタでもあろうが、芸人でない子どもにとっては「いじる」ことが弱い者いじめとなり、集団化しエスカレートするのを止める術を持たない悪質な犯罪の入り口となる。
また「いじめ」は、学校だけの問題ではない。職場でのさまざまなハラスメント(嫌がらせ)、地域社会での人間関係、家庭内では夫婦あるいは親子間でも起こり得ることである。軽い気持ちで始めた「いじる」行為が、ついには痛ましくも悲しい最悪の結末の報道によって私たちは、その事実の一端をようやく知る。「いじめ」は「いのち」に係わることと表現しても過言ではあるまい。
聖路加国際病院名誉院長であった日野原重明先生は生前、小学生たちに「いのちの授業」を行い「いのち」は「時間」だよと語っておられた。早瀬氏も「生きることは時間そのものなのです」と記されている。換言すれば、他者の安穏なる時間を奪うことは「いのち」を奪うとても恐ろしい行為と言えまいか。
常不軽菩薩は出会ったすべての人を礼拝し、褒め称えたという。他者を深く敬い、決して軽んじたり、あなどることはなかったと経文にある。そして、日蓮聖人は「不軽菩薩は所見の人において仏身を見る」とお示しになった。
私たちは、未だ「仏身」を成就していないが、此の身は、自他ともに仏と成る身である。すなわち、他者を苛め虐めることは、他の「仏身」を傷つけるのみならず、己自身の「仏身」をも貶めることに他ならない。
【合掌】は、仏を礼拝し恭敬の心を表す最も相応しい姿とされる。ならば、日蓮聖人に生き方を学ぶ私たちが、皆ともに仏身を成就する菩薩の作法と信解できる。
(論説委員・村井惇匡)

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