ひとくち説法
2019年3月20日
慈父・悲母
一人前の親に育て上げることを目的とする、米国生まれの〝親業訓練〟が、静かに広まっている。「父となり母となる」のに、訓練が必要だろうか。ただ「しつけ」と称し、親が虐待を繰り返した果てに、子どもを死亡させた事件などを耳にした時、「訓練も必要だ」と感じるのも確かである。
仏教用語の「慈悲」を基にして、「慈父・悲母」と呼ぶ場合がある。父・母を敬愛しての表現で、〝慈〟は楽を与えること。〝悲〟は苦しみを取り除くことの意味。父・母に当てはめると、夫々の役割が見えてくる。否、このご時世、役割は拘らない。「子に楽を与え、子の苦を取り除く」のが親の大事であり、子から敬愛される所以なのだ。お釈迦さまは、私たち衆生を「わが子」と仰られ、「わが子を救い護るのは自分だけ」と大慈悲を示された。私たちも、この親に習って、〝慈悲ある人〟に成るよう励まなければならない。そのために、お釈迦さまを敬愛することが肝心である。
(北海道北部布教師会長・中村啓承)