2019年3月1日
本家に還る
昭和15年、軍用道路を通すため、墓地を収用された我が寺は、それ以来墓地・納骨堂なしになった。やっと2年前、共同墓地内に永代納骨塔を建立することができた▼先日、20年前に亡くなった女性の納骨をした。彼女は1960年代の相次ぐ炭鉱の閉山でこの町にたどり着いた。必死で働いて信用を得た彼女は、晩年、家業で忙しい商店の子どもの子育てを任された。子どもから〝バァバ〟と呼ばれ、親代わりとして保護者会にも出ていたという▼天涯孤独の彼女が亡くなった時、育てられた子どもらが施主となり、葬式を出した。葬儀の後、子どもたちから「残務整理をして残ったお金をお寺に預けます。足りないでしょうが、バァバのお骨を納める所をぜひ作って下さい。バァバはここで眠りたいと遺言して逝きました」と申し入れがあったのだ▼その時、私は、盆踊りの炭坑節になると張り切った彼女の言葉を思い出した。「お寺の盆踊りの炭坑節は、月が出るのは三池炭鉱の上になっちょるけど違ごうとるとよ。三井炭鉱の上が本当たい。なんちゅうても炭坑節は、三池でのうて田川が本家たい。あちこち渡り歩いたけんど、この町がウチの故郷、この寺がウチの本家たい」▼仮安置所から20年、やっと納骨塔に納めた時「この日を信じてきてよかった」と呟いた子どもらの声を私は忘れないだろう。彼女は今、ここにいる。(雅)