論説

2019年1月20日号

和暦・西暦・仏暦・共通暦

今上天皇が本年4月30日に退位し、翌5月1日に現皇太子が新天皇に即位すると同時に新元号が施行される予定とされている。新しい元号がどうなるのか、公表は4月になってからともいわれており、新年のカレンダーには平成31年の和暦と西暦が併記されているもの、あるいは西暦のみが記載されているものなどさまざまである。
ところで、この「西暦」は、イエス・キリストが誕生した翌年を元年として計算されている暦法である。西暦が定められたのは6世紀のことであり、それまではキリスト教世界でも必ずしも共通に使われていたわけではない。その後、西ヨーロッパのキリスト教文化が植民活動などと共に世界に広まるに従って、世界で最も普及している暦法となって現在に至っていることは間違いないが、元々が宗教的な意味合いを持ったものであるため、現在でも世界的な受容状況は必ずしも一定していない。
また、近年では、イエス・キリストの生誕が実際は紀元前4年であったとの説も有力である。いずれにしろ、紀元前をBC(Before Christ:キリスト誕生以前を意味する英語)、紀元後をAD (Anno Domini
:イエス・キリストの年を意味するラテン語)とする表記が一般的に使用されていて、日本でも現在、元号を用いる和暦と西暦とが併用されている。世界的に一番普及して共通の年号として認知されていること、年齢の計算や経過した年数の計算に便利であるというのが、宗教的背景を抜きにして受容されている大きな理由のようである。確かに、明治何年生まれの人が平成何年に何歳になるかという計算を即座にできる人は少ないと思うが、これを西暦に置き換えると簡単になる。
日本では昔から、神武天皇が即位し日本が建国された年(西暦換算で紀元前660年)を基準とする「皇紀」(今年は2679年)が用いられたり、釈尊の没年を基準とする「仏暦」(諸説あるが、伝統的に用いられてきた仏暦では今年は2968年)が用いられてきた。日蓮宗では、本年は日蓮聖人ご降誕798年、立教開宗767年、ご入滅738年であり、こうした歴年数も大切にされている。
日本に西暦がもたらされたのは16世紀のカトリック宣教師によるとされている。江戸時代の禁教令と共に使用が禁じられたが、明治時代になって日本の伝統文化を西洋に合わせることの一環として、それまでの太陰太陽暦を改めて、太陽暦が採用された。その後しばらくは両者が併存していたが、第二次世界大戦が日本の敗戦で終結すると共に、太陽暦と西暦が日常生活に一挙に普及した。
一方、19世紀頃から、年号は同じ数値を使用するとしても、西暦ではなく共通暦あるいは共通紀元という表現を用いるべきではないかという動きが出てきていることを、立正大学の講義で三友健容教授から教えられた。ADではなくCE(Comm
on Era :共通紀元を意味する英語)を、BCではなくBCE(Before Common Era:共通紀元前を意味する英語)を使おうという動きである。近年イギリスでは、公立学校や学術的な展示物を扱う博物館でも共通暦表記が浸透し、報道もCEやBCEが使われることが増えてきたという。
日本でも、日本の歴史と文化に密接に関連する伝統的な元号や仏暦、日蓮聖人に関する歴年等を大切にすると共に、宗教や文化の違いをこえた世界共通の紀元として、西暦ではなく共通暦の使用が多くなっていくことを私は期待し願っている。
(論説委員・柴田寛彦)

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2019年1月10日号

憲法について考えよう

憲法9条に自衛隊の名を加えて国の守りに備えたいという動きが、現実味を帯びてきている。自衛隊は実質上軍隊である。軍隊を憲法で認めれば、第9条を根底から覆すことになるであろう。我が国はかつて好戦的指導者によって、男性も女性も学生まで軍隊組織に動員され、世界を相手に戦争を行い、国民はひどい目に遭わされた。73年も前の話だが、今でもその後遺症に苦しんでいる人もいる。戦争がもたらす悲劇は甚大である。まして現代の化学兵器は一層強力になっていて、大量殺戮・大量破壊を可能にしているので、太平洋戦争の比ではない。自衛隊は日頃から戦いを想定して、実戦さながらの軍事訓練をしているが、どんな備えをしていても、いざ戦争になれば無に等しいと思えてならない。軍備は抑止力のためだという軍事評論家もいるが、果たして抑止力になるのだろうか。戦争がもたらす被害はすべての国民に及ぶ。そこで今一度、73年前を振り返って戦争の恐ろしさを考えてみたい。
太平洋戦争は、昭和20年になってから東京をはじめ、日本全国の都市が、米軍のB29の空襲に遭った。筆者も10歳の時、昭和20年5月29日に横浜で大空襲に遭い、火炎地獄の中を逃げ回り、どうにか生きながらえた1人である。米軍は皆殺し作戦(大量の焼夷弾を絨毯を敷くように隙間もなくばらまいて、家も人も何もかも焼き尽くす戦法)を行った。空襲が終わって焼け野原と化した街のあちらこちらに、真っ黒焦げになった焼死体が何人も転がっているのをこの目で見てきた。家を焼かれ肉親を失い、焼け跡に着の身着のままの子どもが泣いている姿もあった。戦争が終わったあと、手を差し伸べてくれる者もなく住む家もなく着る物も食べる物もない孤児たちが、駅の地下道やガード下でかろうじて生きている様子など、テレビの記録映像で見た。戦争の犠牲者は、戦地で戦って死んだ人ばかりではないということだ。夫が戦死したために、幼子を抱えて生きていくのに生涯死ぬほど辛い思いをした妻やその家族を何人も知っている。みんな戦争犠牲者である。また、戦災に遭って肉親や身内の者をすべて亡くした、いわゆる戦災孤といわれた子どもたちもそうだ。戦災で親を失った幼い子どもたちは、一瞬にして頼るものもなくなり、戦後、生きていく術もないまま、多くの子が病気や栄養失調で死んでいったのだと思うと、今でも辛い気持ちになる。野坂昭如氏の『火垂るの墓』のアニメ映画を時折ビデオで観るが、観るたびについ涙してしまう。
今でも中東諸国をはじめ世界中で何ヵ国も、内紛や集団テロによって殺戮と破壊が行われている。そこでは親を失い、路頭に迷って泣いている小さな子どもたちがたくさんいた。戦争がいかに罪悪であるかを思い知らされる。戦争は大人の、しかも一握りの指導者たちの身勝手な思いから始まる場合が多い。戦争が起これば必ず犠牲者が出る。戦争を始めた者はたいがい安全な場所にいて、直接戦って死ぬのは戦闘員であり、何の罪もない住民が殺されたり家を焼かれたりするのである。そこに親を失った戦争孤児が生まれる。戦争は人災である。平和的に解決するよう努力するのが為政者の役目であろう。
日本は戦争で敗れたあと、帝国憲法にかわって、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を謳った憲法が制定された。現行の憲法第9条は、戦争で亡くなった300万人の霊に誓った反戦平和のシンボルである。憲法第9条に自衛隊の文字を加えることの重大さを、深く考える必要があろう。(論説委員・石川浩徳)

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2019年1月1日号

立正元年を蘇りの年に

平成最後の正月を迎えました。歴史を振り返ると、改元の前後は時代の大きな節目に当たっているように思えます。古代から戦乱や事変には新元号が用いられました。その結果、新しい時代が創造されてきたように思われます。
さて、後世の人たちは、新しい元号の節目で日本がどう変わったのかを、歴史上でどう評価するか心配です。
明治元年から大東亜戦争の開戦まで73年、敗戦から平成の終わりまで73年、戦中4年を加えると150年になります。日本社会の大変動の時代と同様、私たち日蓮宗も大きな変容を遂げています。日蓮聖人の時代から、150年から200年の周期でやってくる大きなうねりの中ですばらしい弘通者が出現し、法華信仰の見直しや確立、教団体制の変革や充実など、先師、先哲の努力の賜で今日の繁栄を築いています。しかし、この800年目のうねりの中で、新しい元号に改まる今、まさに、宗門の命運は尽きようとしているように見えます。決して大げさではなく、日本仏教そのものが消滅の危機にあるのです。それは、仏教教団の存続という視点からではなく、日本人の生き方から仏教理念が霧消しようとしていることです。日本人が長い歳月をかけて創造してきた精神文化「日本人のたましい」、すなわち国民性(国柄、人柄、土地柄、家柄など)がグローバル化という波動の中で喪失しつつあるからです。
身近で起こる品性の欠如した事件の数々、政界、経済界、スポーツ界などの不祥事、考えられない壮絶な犯罪、中でも農作物窃盗や乳幼児や老人、障害者への虐待など、日本人としては絶対に許せない犯罪の拡大をこれ以上見逃すわけにはいきません。
このような日本人の品格の崩壊の原因は種々挙げられますが、やはり根幹は家庭と学校にあると思います。家庭生活には宗教が、学校生活には教育が肝心なのです。まず、私たちの立場では家庭のことから考えなければなりません。
平成になって頻発している自然災害、どんな悲惨な状況にあっても整然と行動し、他人を思いやり、互助の精神を発揮するすばらしい人びとや家族の姿は、国内のみならず国外からも称賛されています。この日本人の高い精神性や国民性が消失するとは思えませんが、今のうちに何とかしないと大変なことになるという危機感を抱いている人は少なくないはずです。
そのためにも、私たちは家庭生活を見直し、具体的な対処療法を施さなければなりません。自分だけでやっても他人や世間がとは言っていられないのです。まず、自分が変わらなければ社会は変わりません。そこで、私たちは今いちど日蓮聖人のお考えやお立場に思いを巡らし、自分自身の信仰を自省し、日常生活を改めていく必要があるのです。そして、家族ともじっくり話し合い、幸せの基準を見直し、それを共有しながらのお題目の信仰生活に転換していこうではありませんか。
日蓮聖人は「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがえる義なり」とも「汝、早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ」とも仰っています。ときあたかも改元の正月、私たちの中では新元号を「立正」と定め、その元年からよみがえりを果たしていくとの決意を祖師に誓ってはいかがでしょうか。少なくとも私と寺内の者はこの志を確認する新年にするつもりです。併せて信仰の「寸心」がどこにあるかを問い続けていく1年にします。立正元年を蘇りの年として。
(論説委員・岩永泰賢)

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新年のご挨拶。

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